教育制度の整備と識字率向上
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:40 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮」の記事における「教育制度の整備と識字率向上」の解説
朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育制度が始まったが、1906年の時点でも小学校が全国で40校未満であり、両班や中人の子弟は官吏登用を目指して書堂と呼ばれる私塾で主に漢籍の教育を受けていた。初代統監に就任した伊藤博文はこの状況について、大韓帝国の官僚に対し「あなた方は一体何をしてきたのか」と叱責し、学校建設を改革の最優先事項とした。伊藤が推進した学校建設事業は併合後も朝鮮総督府によって継続され、朝鮮における各種学校は1940年代には1000校を超えていた。 朝鮮総督府は朝鮮人による自主的な教育については警戒、統制を行いつつ、教育内容の整備を進め、日本語、朝鮮語をはじめ算数、日本史、朝鮮史(朝鮮史は「朝鮮事歴」という名前で教育されていた)、修身などの教育を公立学校を中心に展開した。
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