政治勢力化の試みと失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/03 14:20 UTC 版)
「韓国労働組合総連盟」の記事における「政治勢力化の試みと失敗」の解説
韓国労総はその成立過程から歴代保守政権与党を支持する戦略を採り、1988年総選挙で6名、1992年と1996年の総選挙では各5名の労総出身候補者を当選させてきた。しかし1996年、当時の与党である新韓国党が労働法改悪の強行採決したことをきっかけに終止符を打った。1997年の大統領選挙では金大中候補(新政治国民会議)を支持、2000年4月の総選挙では当時の委員長が新千年民主党(民主党)の全国区候補として立候補して当選した他、地域区でも韓国労総出身者が民主党候補として立候補して2名が当選した。 02年11月、労総委員長である李ナムスン(当時)を党首とする韓国民主社会党(2003年4月4日、「韓国社会民主党」に党名変更)を結成。翌2004年4月の総選挙を前に環境保護政党の緑色平和党と合同して緑色社民党を結成し、政治勢力化に挑んだが、得票率0.5%(比例代表)で議席を獲得することが出来ず、李南淳韓国労総委員長を始めとする指導部が辞任する結果となった。新たに委員長に就任した李ヨンドク委員長は民主労総が支援する民主労働党の臨時党大会に出席し、「これまで韓国労総が政治活動において独自活動を展開してきたのは、指導部の一方的な決定だった。今現場の声は民労党とともにするように求めていると確信する」とし、「韓国労組組合員の総意を聞き、民労党とともにする」と述べ、韓国労総レベルでの民労党への集団加入を進めていくことを明らかにした。
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