放映の打ち切りと「日本特撮」の解散
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「怪獣王子」の記事における「放映の打ち切りと「日本特撮」の解散」の解説
東急エージェンシーの肝いりで製作された『怪獣王子』は、上記のような制作状態もあって、1967年(昭和42年)7月放映開始予定が10月に放映開始がずれ込んでしまった。結局、これらの事態に大橋の責任も問われ、「日本特撮」は大橋の社長権限を剥奪、事実上の更迭であった。また、その時点で大橋を介していたスクリーン・ジェムズとの提携も霧散したとされ、事実上『怪獣王子』による東急エージェンシーのハリウッド進出の夢は破れた。 放送が開始された1967年10月の時点で、第一次怪獣ブームが沈静化したこともあり、視聴率も伸び悩んだ。上島がスポンサーのロッテに泣きついて延長されたものの、全26話で終了となった。高山良策が制作した恐竜2体は撮影されずにお蔵入りとなったほか、東急エージェンシーが京都へ丸抱えで招いた多数の東京のスタッフも職を失うこととなってしまった。 このため、スタッフの補償問題でストが起こるなか、上島はうしおそうじに残務処理を依頼した。うしおによれば「トラブルがいっぱいあった」なか、スタッフは全員解雇され、「日本特撮株式会社」も解散となり、フジテレビの番組枠も手放さざるを得なくなってしまった。 なお、作中では『マグマ大使』同様、清水寺を始め名所旧跡が登場し、恐竜に破壊されている。京都のスタッフは、「清水寺を破壊する」との企画に絶句したという。
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