撹眠社の経営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 02:42 UTC 版)
収監中、撹眠社は多くの社員が弾圧を受けて経営不振に陥っており、1885年(明治18年)4月株式発行による立て直しを図った。しかし、『静岡大務新聞』の躍進に押されて経営は安定せず、1887年(明治20年)1月27日渋江保を主筆に迎えて梃入れを図るも、3月28日一時廃刊した。 1887年(明治20年)12月暁鐘新報社と改号し、1888年(明治21年)1月4日『暁鐘新報』として再刊したが、1891年(明治24年)には同じ自由党系紙『静岡日報』が創刊し、10月『暁鐘新報』は休刊に追い込まれた。 1891年(明治24年)11月22日撹眠社を再興して『東海暁鐘新聞』として再刊したが、経営は格太郎に一任し、自らは身を引いた。その後も経営は軌道に乗らず、1893年(明治26年)末の休刊を経て、1894年(明治27年)10月頃廃刊した。
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