拘留孫神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 04:39 UTC 版)
建久2年(1191)、臨済宗の開祖と仰がれる栄西禅師が、虚庵懐敞より臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受けて「明菴」の号を授かった。同年7月、中国から帰朝して長崎の平戸に着いたが、禅師がまだ中国の医王山にいたころ「日本に帰ったら飯野の狗留孫岩にお参りせよ」という観音様のお告げがあったので、帰朝すると早速お詣りされた。 栄西禅師は建久2年8月に肥前高木郡に日本最初の禅寺宝月山福慧光寺を建立し、次に日向国白髪岳、つまり狗留孫岩のあるえびの市大河平にクルソン権現社(後の多宝院端山寺で、現在の羽山積神社)と天狗の宮(金毘羅社)を建立された。そのためクルソン権現社は日本で二番目に古い禅寺とされる。 栄西禅師がはじめて狗留孫岩を参拝に訪れたとき、クルソン権現社の南方にある岩穴で讃岐の金毘羅さんの化身と会われた。それを記念し「天狗の宮」を建立された。「天狗の宮」は天狗がそこに住んでいると考えられていたため、女人禁制で、男子でも午後4時以降の参拝は禁ぜられていた。
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