戸田三弥とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 戸田三弥の意味・解説 

戸田三弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 15:00 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
戸田三弥

戸田 三弥(とだ さんや、文政5年1月16日1822年2月7日) - 明治24年(1891年10月28日)は、幕末大垣藩家老。戸田権大夫家第7代。通称は権之助、三弥。は寛鉄。

父は戸田章鉄。子は戸田三五郎。

略歴

文政5年(1822年)1月16日、大垣藩家老戸田章鉄の子として生まれる。生家は、初代藩主戸田氏鉄の七男・利鉄を初代とする藩内の名門であった。

天保5年(1835年)、初出仕する。天保13年(1842年)、父の隠居により家督と知行1000石を相続する。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に藩兵を率いて出陣する。家老本役となり300石の加増を受ける。明治元年(1868年)、戊辰戦争において、大垣藩が東山道先鋒の命を受けると、藩軍事総裁として藩兵を率い、東北で戦った。明治2年(1869年)、大垣藩が戊辰の功績により賞典禄3万石を受けた際に、1000石の加増を受けて知行2300石となる。

新政府に出仕して、造幣局允、明治3年(1870年)に鉱山大佑となるも、同年に官を辞して帰郷する。明治11年(1878年)、第百二十九国立銀行(大垣共立銀行の前身)創立の際に、発起人、取締役となる。明治24年(1891年)10月28日、濃尾地震により死去した。享年70。明治42年(1909年)、生前の功績により贈正五位

参考文献

  • 「大垣市史」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戸田三弥」の関連用語

戸田三弥のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戸田三弥のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの戸田三弥 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS