成田千空とは? わかりやすく解説

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成田千空

成田千空の俳句

あざけりを浴びるごと昼冴返る
おほぜいのそれぞれひとり法師蟬
きさらぎの雪の羽毛を被て妻よ
ししうどや金剛不壊の嶺のかず
ねむる子に北の春暁すみれ色
ひかり降り雨ふる墾の赤かぶら
をのこ子の小さきあぐら年新た
ハンカチをいちまい干して静かな空
仰向けに冬川流れ無一物
八雲立ちとどろきわたる佞武多かな
去年今年一と擦りに噴くマッチの火
土偶みな寝に帰りたき秋の山
埴色に枯れ永らへて柏の葉は
墨磨すれば墨の声して十三夜
大熊手小熊手をして万の素手
大粒の雨降る青田母の故郷
妻が病む夏俎板に微塵の疵
妻老いて母の如しやとろろ汁
密林のごとく雪降る火の捨て場
寒中の紫蜆寸志とす
成人の日をくろがねのラツセル車
早苗饗のあいやあいやと津軽唄
昨日今日明日赤々と実玫瑰
桃馥郁病む辺も風の通りみち
横顔は十に七つや花林檎
母子見え夜明けのやうに吹雪熄む
混沌の夜の底ぢから佞武多引く
父の日の橋に燈点る船のやう
犬一匹町も野中の吹雪ざま
病む母のひらがなことば露の音
白光の天上天下那智の滝
白鳥の黒豆粒の瞳を憐れむ
百歳の彼方は雪の野づらかな
睫毛は蕊かまくらの中あかあかと
穂田満たし空も流るる最上川
紫陽花の紫紺をつくし竜飛岬
腰太き南部日盛農婦かな
葦折れず氷面解けがたし父祖の野は
蜥蜴の沢に隠れ身を又光る
蝶迅し潟干拓の大環に
野は北へ牛ほど藁焼き焦がし
雄の馬のかぐろき股間わらび萌ゆ
雪しろの本流に入る水ゑくぼ
雪の上鶏あつまりてくらくなる
雪国にこの空の青餅の肌
雪後にて天翔ける腋鮮しや
雪後にて金環の眼の鯔あがる
風三日銀一身の鮭届く
風花のこそばゆく降る髪膚かな
香ぐはしき転生一顆蜜柑受く
 

成田千空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 07:06 UTC 版)

成田 千空(なりた せんくう、1921年3月31日 - 2007年11月17日)は、日本の俳人青森県青森市出身[1][2]。本名は力(ちから)。

経歴

青森工業学校(現・青森県立青森工業高等学校)卒業[1][2][3]。上京して富士航空計器株式会社に就職するが、肺結核に罹患し帰郷[1][3]。療養中に文学への関心を深めるなかで俳句に傾倒していく。郷土俳句を提唱する高松玉麗(たかまつぎょくれい)主宰の俳句結社「松濤社」(しょうとうしゃ)に入会するも1年余りで退会。1943年、幹事の吹田孤蓬(すいたこほう)に誘われ青森俳句会に参加する[要出典][4][5]。超結社の同人組織である青森俳句会は「俳句論から必ず文学論や芸術論になる」楽しい句会で、若い千空は自由闊達な空気を感じながら養分を吸収した[6]

1945年、青森空襲で焼け出され母の実家のある飯詰村(いいづめむら)に移住、その地で敗戦を迎えた。1946年孤蓬らが創刊した同人誌「暖鳥」と中村草田男主宰「萬緑」に参加[1][7]。開墾と農業に従事しながら地方と中央の俳誌に作品を問う生活のなかで俳句に生きる人生の礎を築いた[8]

1950年、五所川原市新町に暖鳥文庫を開き本格的に俳人として活動をはじめる[9]。以来、この地を永住の地としてひたすらに一句の成就を求め、俳壇史に確かな足跡を残した。1988年「萬緑」の選者、2001年からは代表に就任し、生涯の師・中村草田男の文学精神の継承に尽力した。

戦後から平成にわたって俳人として生涯を全うした千空は、地方の俳句界のみならず、文化振興を牽引する存在であった[10][11]。享年86歳。

受賞・栄典

  • 1953年 第一回萬緑賞
  • 1980年 第一回青森県文芸協会賞
  • 1987年 第二十九回青森県文化賞
  • 1989年 第二十八回俳人協会賞(『人日』)
  • 1989年 第四十二回東奥賞
  • 1996年 勲五等瑞宝章
  • 1998年 第三十二回蛇笏賞[12][2](『白光』)
  • 2001年 第十六回詩歌文学館賞(『忘年』)
  • 2004年 第一回みなづき賞
  • 2004年 五所川原市名誉市民[12]

著作

句集

  • 『地霊 成田千空句集』青森俳句会 1976年
  • 『人日』(あおもり選書1)青森県文芸協会出版部 1988年
  • 『人日』〈特装版 限定100部〉青森県文芸協会出版部 1988年
  • 『地霊』〈再版〉(あおもり選書2)青森県文芸協会出版部 1988年
  • 『天門』(あおもり選書11)青森県文芸協会出版部 1994年
  • 『白光』(今日の俳句叢書41)角川書店 1997年
  • 『白光』〈再版〉(あおもり選書15)青森県文芸協会出版部 1998年
  • 『忘年』(花神俳人選)花神社 2000年
  • 『十方吟』(角川俳句叢書38)角川書店 2007年

共著

  • 『句集 海流』青森俳句会 1944年
  • 『句集 修羅落し』森の会 1961年
  • 『句集 風祭』森の会 1962年
  • 『句集 氷塔』森の会 1963年

その他

  • 『現代俳句集』Ⅱ 琅玕洞 1956年
  • 『現代俳句全集』第4巻 みすず書房 1958年
  • 『成田千空句集』(戦後俳句作家シリーズ14)海程戦後俳句の会 1970年
  • 『現代俳句大系』第15巻(昭和50年~昭和54年)角川書店 1981年

没後刊行

  • 『成田千空集』(脚註名句シリーズⅡ-7)萬緑運営委員会編 俳人協会 2011年
  • 『成田千空句集』(東奥文芸叢書 俳句22)東奥日報社 2015年
  • 『千空句帖』(青森文芸ブックレット③)文学で青森を応援する会編 青森文芸出版 2016年
  • 『合本成田千空句集』俳人成田千空研究会編 青森文芸出版 2019年

参考文献

  • 齋藤美穂[1]著『成田千空伝 ー大粒の雨降る青田母のくにー』青森文芸出版、2019年
  • 櫛引洋一他編 図録『第45回企画展 生誕100年 成田千空展』弘前市立郷土文学館、2021年
  • 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 青森に根ざした俳人 成田千空、生誕100年 青森:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2022年3月9日閲覧。
  2. ^ a b c 成田 千空 (なりた・せんくう)” (PDF). 青森県立図書館. 2024年11月3日閲覧。
  3. ^ a b 小野正文『北の文脈 青森県人物文学史 下巻』北の街社、1981年7月20日、183頁。 
  4. ^ 『同人誌 暖鳥』青森俳句会、1946年2月20日、3頁。 
  5. ^ 成田千空『俳句は歓びの文学』角川学芸出版、2009年10月20日、28頁。ISBN 9784046214843 
  6. ^ 成田千空『俳句は歓びの文学』角川学芸出版、2009年10月20日、11頁。 
  7. ^ 成田千空『俳句は歓びの文学』角川学芸出版、2009年10月20日、30頁。 
  8. ^ 齋藤美穂『成田千空伝 ー大粒の雨降る青田母のくにー』青森文芸出版、2019年3月31日、46頁。 
  9. ^ 小野正文『北の文脈 青森県人物文学史 下巻』北の街社、1981年7月20日、183-185頁。 
  10. ^ 青森県近代文学館 編「平成津軽のお父(ど) (米田省三)」『図録 特別展 平成の青森文学』青森県文学館協会、2018年7月14日。 
  11. ^ 齋藤美穂『成田千空伝 ー大粒の雨降る青田母のくにー』青森文芸出版、2019年3月31日、189-191頁。 
  12. ^ a b 五所川原市の著名人”. www.city.goshogawara.lg.jp. 五所川原市. 2022年3月9日閲覧。

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