意富多多根古による祭祀とは? わかりやすく解説

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意富多多根古による祭祀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 15:45 UTC 版)

大物主」の記事における「意富多多根古による祭祀」の解説

崇神天皇天変地異疫病の流行悩んでいると、夢に大物主現れ、「こは我が心ぞ。意富多多泥古大田田根子をもちて我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず国安らかに平らぎなむ」と告げた天皇は早速、活玉依毘売末裔とされる意富多多泥古捜し出し三輪山祭祀を行わせたところ、天変地異疫病収まったという。これが現在の大神神社である。『日本書紀』では、崇神天皇大物主から夢で直接神託を得るまでの亀卜沐浴斎戒宮殿内部潔浄と言った祭祀過程内容詳細に記され天変地異収まった翌年大神神社奉る酒の管掌高橋邑の人活日が任命されている。なお、『古事記』では、三輪大神は意富美和之大神とされる。なおこれを系図起こすと、陶津耳命ー活玉依毘売櫛御方命ー飯肩巣見命ー建甕命ー意富多多根古となる。 活玉依毘売のもとに毎晩麗しい男が夜這い来て、それからすぐに身篭った。しかし不審思った父母問いつめた所、活玉依毘売は、名前も知らない立派な男が夜毎やって来ることを告白した父母その男正体知りたい思い糸巻き巻いた麻糸を針に通し、針をその男の衣の裾に通すように教えた翌朝、針につけた糸は戸の鍵穴から抜け出ており、糸をたどると三輪山の社まで続いていた。糸巻きには糸が3回りだけ残っていたので、「三輪」と呼ぶようになったという。

※この「意富多多根古による祭祀」の解説は、「大物主」の解説の一部です。
「意富多多根古による祭祀」を含む「大物主」の記事については、「大物主」の概要を参照ください。

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