悟道軒圓玉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/14 09:39 UTC 版)
悟道軒 圓玉(ごどうけん えんぎょく)は、講談師の名跡。新字体は悟道軒円玉。
初代
慶応2年11月16日(1866年12月22日)[1] - 昭和15年(1940年)1月13日[1]。享年75[2]。本名は浪上義三郎[1](戸籍上は浪上儀三郎)。
初代
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本名 | 浪上 義三郎 |
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別名 | 浪上 儀三郎 |
生年月日 | 1866年12月22日 |
没年月日 | 1940年1月13日(73歳没) |
師匠 | 二代目松林伯圓 |
名跡 | 1.松林伯義(1882年 - 1889年) 2.5代目松林圓玉(1889年 - ?) 3.初代悟道軒圓玉(? - 1940年) |
活動期間 | ? - 1940年 |
活動内容 | 講談師 |
江戸の生まれ[1]。16歳で二代目松林伯圓の門弟となり伯義と名乗る[1]。1889年に五代目松林圓玉を襲名するが、病弱で人気がなかった[1]。そのため、悟道軒圓玉を名乗り、書き講談に転向し、夥しい数の講談筆記や創作講談を残した[1]。
川口松太郎は、1919年から、悟道軒円玉の家に住み込んでその口述筆記を手伝い、漢詩や江戸文学の素養も積んだ[1]。
二代目
2代目
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本名 |
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生年月日 | 1942年12月28日(82歳) |
出身地 | ![]() |
師匠 | 12代目田辺南鶴 服部伸 |
名跡 | 1.田辺南洲(1963年 - 1978年)[5] 2.2代目悟道軒圓玉(1978年 - ) |
出囃子 | 勧進帳 |
活動期間 | 1963年 - |
活動内容 | 講談師 |
公式サイト |
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受賞歴 | |
芸術祭大衆芸能部門優秀賞(1973年)[6] 芸術祭優秀賞(1977年) |
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1942年12月28日、川越市生まれ。県立川越工業高校卒業後、富士重工に勤務[6]。講談界の最長老・服部伸の芸を聴いたことがきっかけで講談師の道に入る[6]。
1963年、十二代目田辺南鶴に入門し、田辺南洲[5]を名乗る。1968年、南鶴没後、服部伸の預かり弟子となる[5]。1969年、二つ目昇進[5]。1973年、史上最年少で芸術祭大衆芸能部門優秀賞を受賞[6]。1977年、芸術祭優秀賞受賞。1978年、真打昇進し二代目悟道軒圓玉を襲名[5]。
1989年、交通事故で脳死状態になる[5]。1994年、高次脳機能障害を乗り越え、高座に復帰[5]。
脚注
- ^ a b c d e f g h 高橋圭一「𠮷沢コレクションの悟道軒圓玉資料」『𠮷沢コレクションの世界』、大阪公立大学、2023年2月、51-55頁。
- ^ “悟道軒円玉(初代)”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2014年12月13日閲覧。
- ^ 心行寺について | 浄土宗 双修山 心行寺2014年12月13日閲覧。
- ^ ハートネットTV:障害福祉賞(2)高次脳機能障害と共に生きる ―東京・貝野光男さん― - 2014年12月11日の放送 - NHK福祉ポータル ハートネット2014年12月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g 師への感謝を込めて 悟道軒圓玉が主催する 服部伸 40年記念 講談の会 (PDF) アートマネジメント研究所
- ^ a b c d 日外アソシエーツ現代人物情報[要文献特定詳細情報]
外部リンク
- 講談師 悟道軒圓玉(ごどうけん えんぎょく)公式サイト - ウェイバックマシン(2013年9月24日アーカイブ分)
- 悟道軒円玉のページへのリンク