復位から最期へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/08 09:39 UTC 版)
「イサキオス2世アンゲロス」の記事における「復位から最期へ」の解説
帝国の威信はさらに衰えた。イサキオスの息子で神聖ローマ帝国に亡命していたアレクシオス4世は、軍資金の調達が困難で遠征できなかった第4回十字軍に対して資金援助や東西教会の統一などを条件に味方に引き込み、帝国の首都・コンスタンティノポリスに侵攻した。1203年7月にアレクシオス3世は皇位を追われて逃亡し、アレクシオス4世は幽閉された父・イサキオスを助け出して、父と共に共同皇帝として即位した。 しかし復位にあたってアレクシオス4世が命じた軍資金供出の負担は国民に重く圧し掛かり、1204年、皇族のアレクシオス5世ドゥーカスの反乱を招いた。この反乱により、イサキオス2世とアレクシオス4世は共に殺害され、皇位はアレクシオス5世に簒奪された。49歳であった。
※この「復位から最期へ」の解説は、「イサキオス2世アンゲロス」の解説の一部です。
「復位から最期へ」を含む「イサキオス2世アンゲロス」の記事については、「イサキオス2世アンゲロス」の概要を参照ください。
- 復位から最期へのページへのリンク