御輔長道とは? わかりやすく解説

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御輔長道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/28 08:33 UTC 版)

御輔 長道(みふ の ながみち、延暦18年(799年) - 貞観2年9月26日860年10月14日))は、平安時代前期の貴族・明法家。名は永道とも記される。氏姓は安倍宿禰のち御輔朝臣。官位従五位下勘解由次官

経歴

御輔氏(御輔朝臣)は安倍氏の一族。承和6年(839年)安倍真雄らが安倍宿禰から新たに御輔朝臣姓を与えられた際、長道も同時に改姓したと考えられる。

長道は左京出身。当初明経生となるがのちに律令を学び、別勅生と称して得業生と同様に朝廷から衣食が支給された[1]。のちに奉試(明法試)に及第し、仁明朝の承和7年(840年明法博士となり、以降卒去するまで約20年の長きに亘りこれを務めた。承和13年(846年善愷訴訟事件に際しては、法隆寺僧侶善愷の訴状を受理した弁官罪状について意見を求められ、右大判事・讃岐永直らとともに公罪とする断文を提出している。

文徳朝仁寿3年(853年従五位下に昇叙されると、のち斉衡2年(855年大判事天安2年(858年勘解由次官を兼帯した。同年11月清和天皇即位に伴う叙位により、内位の従五位下に至っている。

貞観2年(860年)9月26日卒去。享年62。最終官位は勘解由次官従五位下兼行明法博士。

官歴

六国史』による。

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』貞観2年9月26日条

参考文献




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