役職整理、貨幣鋳造、買米仕法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 21:49 UTC 版)
「伊達吉村」の記事における「役職整理、貨幣鋳造、買米仕法」の解説
一方で役職の整理を進め、享保11年(1726年)に屋敷奉行と兵具奉行を兼務とし、普請奉行を廃止して、その配下の普請方を出入司の直轄とした。また、享保14年(1729年)には郡奉行を8人から4人に減員し、享保16年(1731年)には龍ヶ崎奉行を廃して職務を郡奉行の兼役とした。 これと並行して享保12年(1727年)に仙台領産の銅を使用することを条件に、幕府の許可を得て銅銭(寛永通宝)を石巻で鋳造し、それを領内で流通させることで利潤を得た。また、買米仕法を再編強化し、農民から余剰米を強制的に供出させ江戸に廻漕して換金した。18世紀初めから中頃にかけての江戸市中に出回った米のほとんどが、仙台産であったと言われているほどである。享保17年(1732年)、西国で享保の大飢饉が発生すると、この年奥州は豊作であったため、大量の米を江戸に送って売りさばき50万両を超える収益を上げた。このため藩財政は一気に好転し、ようやく単年度での黒字を実現できるようになった。
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