彦島南東部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:36 UTC 版)
江の浦 現在は三菱重工業下関造船所があるため、工業が栄えた土地であるが、開発が行われるまでは林の広がる土地であった。明治28年(1895年)には約3万坪(0.1km2)の土地が埋め立てられた。 杉田と姫の水 由来によると、壇ノ浦の戦いの後4人の官女が彦島で生き延びていたが前とはかけ離れた生活に耐えられず入水したが1人だけ生き延びてしまった。その1人ものどの渇きで死んだ。その後、1本の杉が植樹されたため杉田、そしてその近くに置いた女の墓石から湧き水が出たため姫の水と呼ばれるようになった。杉田は町名になっているが、姫の水はバス停の名前としてのみ残っている。 現在は杉田は住宅地となっている。 弟子待 一説には淳和天皇の頃(8世紀前半頃)に天皇の命令で田が置かれたという記録があるため、勅旨田(てしでん)にちなむものであると考えられているが巌流島の戦いの際に小次郎の弟子たちが弟子待付近で待っていたためこの地名ができたとする説もある。 高度経済成長期ごろから石油タンクの並ぶ町であり、埋立地には海底トンネル用の貯炭場もあったが、現在ではその多くが撤去されている。弟子待付近にはかつて「死の瀬」とも呼ばれた與(与)次兵衛ケ瀬があったがこれについては近世節を参照。 山中・向井由来は不明。どちらも現在は住宅地である。
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