当時の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:42 UTC 版)
「松野トンネル崩壊事故」の記事における「当時の影響」の解説
当時、新潟県と東京を結ぶ信越本線は、碓氷峠のアプト式区間がボトルネックで、岩越線回りは第2ルートとも呼ばれていたが、夜行列車では新潟 - 上野間の到達時分がむしろ早いものもあった。また信越本線の短絡ルートとなる上越線は未開通であった。そのうえ東日本の東西を結ぶ路線は当時ほかにないため、第一次世界大戦の特需や軍事物資の輸送など、かなりの部分を岩越線が担っていた。岩越線の不通により碓氷峠のアプト式区間には一挙に数倍の貨物が押し寄せたという。さらに日橋川沿いの電力をあてに会津地方に進出していた事業所は原材料の調達に支障をきたし、操業停止に追い込まれるところもあり、影響は甚大なものだった。
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