張微とは? わかりやすく解説

張微Zhang Wei

チョウビ
チヤウビ

(?~?)
広漢太守

字は建興華陽国志》。犍為郡武陽の人。張翼の子張翼伝》。

若いころ同郡の費緝、蜀郡寿良とともに名を知られた。真心厚く学問好み官位広漢太守まで昇った《華陽国志》。

永康元年三〇〇)、趙廞叛逆して大将軍自称すると張微を軍祭酒任じたが、翌永寧元年趙廞部下李特らが背いて成都城に迫ると、張微は常美苾らとともに夜中城門切って脱走した太安元年三〇二)、晋朝は張微を徳陽駐屯させて広漢太守復職させた《華陽国志》。

参照寿良 / 常美 / 張翼 / 趙廞 / 費緝 / 李特 / 苾 / 犍為郡 / 広漢郡 / 蜀郡 / 晋 / 成都県 / 徳陽県 / 武陽県 / 軍祭酒 / 太守 / 大将軍


張微

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/30 01:56 UTC 版)

張 微(ちょう び、? - 302年)は、中国の代の人物。建興犍為郡武陽県の人。前漢三傑の一人張良の子孫で、先祖の張晧は後漢司空を、高祖父張綱広陵太守をそれぞれ務めた名門の出身である。また、蜀漢の左車騎将軍張翼は父、子は張存。

生涯

若いころ同郡の費緝、蜀郡の寿良とともに名を知られた。真心に厚く、学問を好みんでいたという。

永康元年(300年)、益州刺史趙廞は叛逆して大将軍を自称すると広漢郡太守であった張微を軍祭酒に任じたが、翌永寧元年、趙廞の部下李特らが背いて成都城に迫ると、張微は常美・李苾らとともに夜中、城門を切って脱走した。 302年河間王により、再び広漢郡太守につき徳陽に駐屯した。

太安元年(302年)5月、蜀で李特が反乱を起こし、一度は李特の陣営に斬り込んだものの、広漢は包囲され、張微は殺害された。李特は張微の子の張存も捕らえたが、その菩提を弔わせる名目で特例として釈放した。

参考文献




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