建部政世とは? わかりやすく解説

建部政世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 14:05 UTC 版)

 
建部政世
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 安政元年12月10日1855年1月27日
死没 明治10年(1877年6月16日
改名 三二郎、政世
墓所 京都市北区紫野の大徳寺芳春院
官位 従五位下内匠頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家茂慶喜明治天皇
播磨林田藩
氏族 建部氏
父母 父:建部政和(名目上:建部政醇)、母:不詳
テンプレートを表示

建部 政世(たけべ まさよ)は、江戸時代後期の大名播磨国林田藩の第10代(最後)の藩主。官位従五位下内匠頭

略歴

第9代藩主・建部政和の長男として誕生したが、祖父の8代藩主・建部政醇の三男とされた。幼名は三二郎。

文久3年(1863年)4月18日、政和の死去により家督を継いだ。慶応3年(1867年)12月20日、上洛する。慶応4年(1868年)1月15日、新政府から華頂宮博経親王などの警備を命じられる。また、戊辰戦争では新政府側に与して、姫路藩征伐に参加した。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還知藩事に就任した。明治4年(1871年)8月18日、廃藩置県により免官となる。明治5年(1872年)7月3日、叔父の揆に家督を譲った。なお、建部家への子爵叙爵は明治17年(1884年)、叔母婿の建部秀隆の代になされた。

明治10年(1877年)6月16日、24歳で死去した。墓所は京都市北区紫野の大徳寺芳春院

当主
先代
建部政和
林田藩建部家
1863年 - 1872年
次代
建部揆




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「建部政世」の関連用語

建部政世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



建部政世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの建部政世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS