廣恵寺とは? わかりやすく解説

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廣恵寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 00:23 UTC 版)

廣恵寺
所在地 岐阜県中津川市福岡植苗木
山号 智源山
宗派 臨済宗妙心寺
創建年 感応元年(1350年
開山 枯木紹栄(枯木要影)
開基 遠山景信
正式名 智源山 廣恵寺
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廣恵寺(こうえじ)は、岐阜県中津川市福岡植苗木の城ケ根山にかつて存在した臨済宗妙心寺派の寺院。山号は智源山。

歴史

後に苗木遠山氏に繋がる福岡遠山氏菩提寺であったと言われ、現在は寺址と宝篋印塔が数基残っている。

多治見市の虎渓山永保寺を開山した夢窓疎石が諸国行脚の途中で、この地に至った際にの廣恵寺に似た霊場ということで、弟子の枯木紹栄(枯木要影)が、観音像を受けて開山した[1]

感応元年(1350年)10月17日に遠山景信が開基し、夢窓疎石の弟子枯木紹栄が開山し入寺したと伝わる[2]

永禄12年(1569年)6月に廣恵寺からの求めに応じて苗木城主の遠山直廉禁制[3]を下した。その内容は以下のとおりである。

一、山林竹木伐取り、牛馬放し飼い不可の事

一、寺方に背く悪僧、当役為る者成敗有る可く、万一腕力及ばすは此方へ申し付く可き事

一、寺家門前は 諸役以下一切免除の事

右旨、違背の輩に於いては、罪科に処す可き者也、件の如し

永禄拾二 己巳稔 六月 日 直廉

つまり、永禄12年(1569年)6月の時点では、未だ廣恵寺が存在していたことは間違いない。

天正2年(1574年)に、武田勝頼による遠山領侵攻の際に、神社と寺院が悉く焼討されているので、その際に滅亡した可能性が高いと考えられる。

なお江戸時代初期まで続いていたが後継する住職が居らず自然に廃寺となったという言い伝えもあり、観音堂のみが残っていたとされる。

明治3年(1870年)の苗木藩の廃仏毀釈により観音堂も廃絶を余儀なくされたが、

明治16年(1883年)に地元有志により観音堂が再建されたが老朽化が顕著となり、

昭和60年(1985年)4月7日に取壊されたが、同年に再度再建されて現在に至っている。

現在、城ケ根山の山麓には、観音堂、石積み、礎石、古井戸、庭池、土塁や堀の跡の他に、宝篋印塔と五輪塔が残っている。

かつては近くに福岡遠山氏の広恵寺城が存在した。広恵寺城の城主館や武家屋敷もあったとされ、植苗木は中世の恵那郡北部の中心であった。

崇福山 片岡寺

福岡村の住民は、廣恵寺を檀那寺としていたが、江戸時代の初期に、光蔵主(廣蔵主)という僧が寂してから後継者が無く、寺が中絶したために、住民は、当時は浄土宗であった法界庵の貞友という僧に帰依して年月が経過していた。

そこで苗木雲林寺を中興した一秀玄廣と、苗木藩家老であった棚橋八兵衛朝清が相談して、

苗木藩三代藩主の遠山友貞の母の壽昌院殿桂室珠芳大姉の七回忌に際して植苗木に小庵を結び、廣恵寺の後継寺院として建立することとし、

慶安3年(1650年)、入用金は苗木藩が寄進し、材木などは福岡村の住民が寄進して、正月下旬から建設を始めて、3月下旬に完成し、4月8日に周嶽玄豐が入寺して崇福山 片岡寺を開山した。

参考文献

  • 『福岡町史 通史編 上巻』 第二章 鎌倉時代 第一節 武家社会の成立 五 苗木遠山氏の成立過程 広恵寺周辺 p414 - p417 福岡町 1986年
  • 『福岡町史 通史編 下巻』 第九章 宗教 第四節 各寺院とその跡 崇福山 片岡寺 p971 - p972 福岡町 1986年
  • 『福岡町史 史料編 下巻』 福岡区 五二七 片岡寺開山記 p365 - p366 福岡町 1980年
  • 『中津川市 上巻』 第四編 中世 第四節 遠山氏 広恵寺開基 p559 - p560 中津川市 1968年
  • 『恵那郡史』 第五篇 吉野時代・室町盛時 第十八章 遠山氏(一) 廣恵廃寺 p118 恵那郡教育会 大正15年
  • 『東濃の古寺』 片岡寺跡 p22 - p23 東濃教育事務所学校教育課 昭和57年
  • 花園大学国際禅学研究所 論叢 第6号

脚注

  1. ^ 苗木伝記
  2. ^ 御坂越記
  3. ^ 高札 広恵寺禁制 中津川市史〔史料編25〕(永禄12年) 遠山氏所蔵



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