康俊系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:59 UTC 版)
勝俊(康俊)は、駿河久能城代になり1586年に没した。養嗣子の勝政が8,000石の旗本となり、その子の勝義が下総国多古に領地に移されて交代寄合となった。この家系はのちに諸侯(多古藩1万2,000石・無城大名)となった。その後に分知により、1万石の大名として幕末を迎えた。最後の藩主になった久松勝慈は子爵に叙せられたが、後に地元に乞われて多古町の初代町長を務めている。 この家系からは、500石の旗本2家が分家として出た。
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