府中小笠原氏の流浪とは? わかりやすく解説

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府中小笠原氏の流浪

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:41 UTC 版)

小笠原氏」の記事における「府中小笠原氏の流浪」の解説

府中小笠原氏統一果たした長棟没後、その長男である長時時代甲斐国武田晴信信玄)が信濃領国化を開始し信濃侵攻)、長時小県郡村上義清らと連携して抵抗するが、天文19年1550年)には本拠林城陥落する信濃から駆逐される(『高白斎記』)。 このころ中央では第13代将軍足利義輝推戴する三好長慶勢力をもっていたが、三好氏小笠原一族称し長時庇護し長時三男貞慶三好氏京都小笠原氏など同族間で連絡拠点とする京に滞在し在京奉公を行う。永禄4年1561年)には北信豪族庇護し武田氏川中島の戦い繰り広げていた上杉謙信長時帰国支援命じられるが、川中島合戦永禄4年を境に収束し長時帰国実現していない。 その後将軍義輝没落御館の乱により長時会津逃れる天正10年1582年)、武田遺領を巡る天正壬午の乱においては長時の弟である小笠原洞雪斎越後上杉氏支援を受け、小笠原旧臣助力得て木曾義昌から深志城松本城)を奪還する。洞雪斎上杉氏傀儡であったといわれ、長時の3男の貞慶徳川家康仕え小笠原旧臣支持得て深志城奪還する天正18年1590年)には貞慶長男・秀政が下総古河現在の茨城県古河市)3万石与えられ慶長5年1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍属し翌年慶長6年1601年)には信濃国飯田現在の長野県飯田市5万石に加増の上転封となる。

※この「府中小笠原氏の流浪」の解説は、「小笠原氏」の解説の一部です。
「府中小笠原氏の流浪」を含む「小笠原氏」の記事については、「小笠原氏」の概要を参照ください。

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