平山助次郎
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平山 助次郎(ひらやま すけじろう、 文化3年(1806年) - 天保9年6月20日〈1838年8月9日〉)は、江戸幕府の幕臣、大坂東町奉行所の同心。同奉行所の同心・平山勇右衛門の子[注釈 1]。大塩平八郎の門人の1人で、大塩平八郎の乱の企てに加担していたが、直前に密訴した[1]。
生涯
文政3年(1820年)、15歳の時に大坂東町奉行所の見習勤めとなる[注釈 2][2]。
文政6年(1823年)、父・勇右衛門が病気のため、跡を継ぐ。勇右衛門は同年に死去[注釈 3]。
天保4年(1833年)9月に発生した「加古川筋うちこわし」(加古川筋一揆)の鎮圧後、9月から10月の間に関係者の捕縛のため東西両町奉行所の盗賊方与力・朝岡助之丞と内山彦次郎が派遣された際、それに同行する[4]。
天保7年(1836年)正月、町目付[注釈 4]となる[5]。
天保8年(1837年)正月8日、大塩平八郎の同志として連判状に名を記す[注釈 5]。2月17日、跡部良弼に乱の計画を密訴する。同29日、江戸にいる矢部定謙の元に着く。自訴したことを賞せられ、御譜代席小普請入となり、後に大名家にお預けとなる。
天保9年(1838年)6月20日、自害する[6]。
密訴
天保8年2月15日に渡辺良左衛門[注釈 6]から、翌日の夜には大塩邸で平八郎自身から挙兵の日限・方略を申し渡された平山は、2月17日の夜、大塩平八郎とその門弟たちによる乱の計画を密訴した[注釈 7][注釈 8][7]。
密かに東町奉行・跡部を訪れた平山は、用人野々村治平(次平)の取り次ぎで面会して大塩の計画を語った。奉行所内にいる大塩の同志に捕縛の計画が漏れることを恐れた跡部は、平山に書面を持たせて江戸にいる勘定奉行の矢部定謙に出訴せよと命じた[注釈 9][8]。
平山の密訴を受けて、跡部は大塩を知る人物から事情を聞いた。しかし、そのようなことをするとは思えぬとの答えを受け、真偽不明のまま19日に予定されていた跡部の市中巡回は中止とした。しかし、19日の明け方に、吉見英太郎[注釈 10]からの密訴で大塩の挙兵は確実なものと判断された[9]。
供述
密訴した翌日18日の払暁七ツ時に大坂を発った平山は、23日に大坂での異変を知り、大井川の出水・川留に手間取りながら、29日の夜六ツ時に矢部邸に到着した。大坂での騒動はすでに伝わっていたが、矢部は平山を呼び寄せて事態を聞きただした[注釈 11][10]。
身柄を確保された平山の供述は、評定所の吟味伺書の冒頭に記載された[11]。
平山の供述書には、大塩が東町奉行の交代が多いのは西町奉行所の与力・同心が画策しているからではないかと思っていたことや、東組の風儀が改まらないので組替えをしてはどうかという話を跡部良弼が矢部定謙と内談したと聞いて、問題は与力・同心を取り立てない奉行の側にあるからだと怒っていたことなどが記されていた[12]。
自害
乱の後、平山は「身分是迄之通御抱置、御仕置御宥恕付」[注釈 12]という判決を受け、平山と江戸まで同行した小者の多助と弥助は御構い無し(無罪放免)となった[注釈 13]。そして、平山は取米高のまま御譜代席小普請入を命ぜられた[13]。
しかし平山は、後に三河国額田郡西大平藩の大岡忠愛に御預けとなり、さらに評定所で数回の吟味を受けて、安房勝山藩藩主・酒井忠嗣に御預けの身となった[注釈 14][14]。
天保9年6月20日、平山は自殺した。老中松平乗寛および町奉行筒井政憲宛に届けられた書状によれば、いつものように蚊帳の中で眠っている様子だったが、七ツ半時(午前4時)ごろに荒い息をしているのが聞こえたため番士が見たところ、平山は掻い巻きをかぶって座っていた。掻い巻きをのけて声を掛けたが座ったまま俯せになり返事をしないので確認すると、平山は脇差で咽喉を突いていた。即死同然であり、手当のしようも無かったという[注釈 15][15]。
この失態を受けて、御預けを仰せ付けられた家臣や番士ら3人は謹慎となった[注釈 16][16]。
『藤岡屋日記』にもこの件は記載されており、その記事には以下の落首が載っている。
脚注
注釈
- ^ 第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、186-187頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、186-187頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、186-187頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 大坂町奉行所の役職の1つ。同心のみ。
- ^ 石崎東国『大塩平八郎伝』大鐙閣 1920年、315-316頁。
- ^ 大坂東町奉行所の同心。平山と同様、大塩平八郎の門下。
- ^ この時の密訴は口頭で行われたため訴状は残っていないが、その顛末は「矢部駿河守ヨリ御老中ヘノ進達書」「平山助次郎吟味書」「跡部堀両奉行書取」に残されている。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、4-5頁。内藤耻叟『徳川十五代史 六』 新人物往来社、2802-2803頁。第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、178頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。石崎東国『大塩平八郎伝』大鐙閣 1920年、303頁、318-319頁。
- ^ 内藤耻叟『徳川十五代史 六』 新人物往来社、2802-2803頁。第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、197-200頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 大塩の門下である東町奉行所同心・吉見九郎右衛門の子息。
- ^ 内藤耻叟『徳川十五代史 六』 新人物往来社、2802-2803頁。石崎東国『大塩平八郎伝』大鐙閣 1920年、319-321頁。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、5頁、342-344頁。第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、186頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、11-12頁。第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、199頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、350頁。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、348-353頁。第五冊「大塩平八郎大坂ニ於テ暴動ノ始末」、251-252頁(『実録彙編.』初輯、忠愛社、所収)。石崎東国『大塩平八郎伝』大鐙閣 1920年、325-326頁。
- ^ 『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、348-353頁。
- ^ 『藤岡屋日記』. 第2巻 (11〜17(天保八年〜弘化二年))(近世庶民生活史料) 三一書房、68頁。
出典
- ^ 鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、126-127頁。
- ^ 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、55頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、433頁。
- ^ 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、55頁。森鴎外『大塩平八郎』岩波文庫、140頁、246頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、433頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、150-153頁。
- ^ 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、55頁、118頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、433頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、179-180頁。鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、126-127頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、179-180頁。幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、118頁、120頁。宮城公子『大塩平八郎』 朝日新聞社、246頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、186-187頁、409頁、433頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、188頁。幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、118-119頁。宮城公子『大塩平八郎』 朝日新聞社、246頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、187-188頁。
- ^ 宮城公子『大塩平八郎』 朝日新聞社、246頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、188頁。幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、119頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、188頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、188-189頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、184頁。
- ^ 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、119-120頁、172頁。徳富猪一郎『近世日本国民史』第27巻 近世日本国民史刊行会、433頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、179-180頁。幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、119頁。鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、126-127頁。
- ^ 藪田貫『大塩平八郎の乱』中公新書、179-180頁。幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、119頁、173頁。鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、126-127頁。
- ^ 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、119-120頁。鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、127頁。
- ^ 鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、128頁。
史料
- 相蘇一弘『大塩の乱関係者一覧とその考察』大阪市立博物館、1994年3月。
- 高野真遜 編『実録彙編.初輯』忠愛社、1886年2月。
- 石崎東国『大塩平八郎伝』大鐙閣、1920年。
- 国立史料館 編『大塩平八郎一件書留』東京大学出版会、1987年3月。ISBN 4-13-092809-0。
- 内藤耻叟『徳川十五代史 六』新人物往来社、1986年3月。 ISBN 4-404-01306-X。
- 藤岡屋由蔵『藤岡屋日記 第2巻(11〜17(天保八年〜弘化二年))』三一書房、1988年3月。
参考文献
- 幸田成友『大塩平八郎』中公文庫、1977年11月。 ISBN 4-12-200490-X。
- 鈴木棠三『江戸巷談藤岡屋ばなし 続集』ちくま学芸文庫、2003年6月。 ISBN 4-480-08776-1。
- 徳富猪一郎『近世日本国民史 第27巻 文政天保時代』近世日本国民史刊行会、1964年11月。
- 宮城公子『大塩平八郎』朝日新聞社、1977年。 ISBN 4-02-257016-4。
- 三善貞司『大阪人物辞典』清文堂、2000年11月。 ISBN 4-7924-0499-1。
- 森鴎外『大塩平八郎 他三篇』岩波文庫、2022年4月。 ISBN 978-4-00-360041-2。
- 藪田貫『大塩平八郎の乱 幕府を震撼させた武装蜂起の真相』中公新書、2022年12月。 ISBN 978-4-12-102730-6。
- 渡邊忠司『大坂町奉行所異聞』東方出版、2006年5月。 ISBN 4-86249-006-9。
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