幡随意の開創
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 22:57 UTC 版)
慶長8年(1603年)に帰依していた徳川家康が江戸開幕にあたって、浄土宗知恩寺33世住持・幡随意を開山として招聘し、江戸神田の台(現・東京都千代田区神田駿河台)に創建した寺である。家康はこの際に白銀10貫目および嫡男・秀忠も米300俵を寄進して堂宇を整えるとともに神田山新知恩院の寺号を与え、徳川家祈願所と定めた。慶長15年(1610年)には浄土宗の檀林が置かれ、後には浄土宗の関東十八檀林の一つとして同宗派の高僧を輩出したとされる。翌慶長16年(1611年)に幡随意は古希になったのを機に随意巖上人を同寺の2世住持法嗣に定めて伊勢国山田(現在の三重県伊勢市)の草庵に引退した。
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