幕府と持氏との対立とは? わかりやすく解説

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幕府と持氏との対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 13:43 UTC 版)

永享の乱」の記事における「幕府と持氏との対立」の解説

4代将軍足利義持時代応永23年1416年)には前関東管領の上杉氏憲(禅秀)が4代鎌倉公方足利持氏反して挙兵する上杉禅秀の乱起きた。乱自体幕府との協力鎮圧されるが、乱後に持氏が残党狩り名目として、京都扶持衆宇都宮持綱などを粛清、さらに幕府支援する佐竹氏討伐するなど自立的行動が目立つようになり、幕府鎌倉府対立関係となる。義持没後、弟の義教6代将軍就任すると、持氏はこれに反発し1429年元号正長から永享改元されても持氏は正長元号用い続けるなど、幕府対す不服従の態度示した。さらに持氏は関東管領の上憲実とも対立し上杉氏庶流の上定頼・上杉憲直直臣一色直兼重用するなど、独裁色を強めていった。

※この「幕府と持氏との対立」の解説は、「永享の乱」の解説の一部です。
「幕府と持氏との対立」を含む「永享の乱」の記事については、「永享の乱」の概要を参照ください。

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