常福寺_(横須賀市)とは? わかりやすく解説

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常福寺 (横須賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 03:07 UTC 版)

常福寺 じょうふくじ
本堂
所在地 神奈川県横須賀市西浦賀2-16-1
位置 北緯35度14分23.74秒 東経139度43分4.33秒 / 北緯35.2399278度 東経139.7178694度 / 35.2399278; 139.7178694座標: 北緯35度14分23.74秒 東経139度43分4.33秒 / 北緯35.2399278度 東経139.7178694度 / 35.2399278; 139.7178694
山号 放光山
院号 延寿院
宗派 浄土宗
創建年 文明年間(1469年 - 1487年
開山 教誉
法人番号 8021005007871
常福寺
常福寺 (神奈川県)
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常福寺参道

常福寺(じょうふくじ)は、神奈川県横須賀市にある浄土宗寺院

歴史

文明年間(1469年 - 1487年)、教誉によって開山された。1720年享保5年)、浦賀奉行が設置された際に、御用寺院となっている。新旧奉行の事務引継ぎは当寺で行われた[1]

当寺には備後福山藩藩主夫人息女のものとされる位牌がある。この位牌の主は生前虫歯に苦しんでおり、死の間際に「私が死んだあとお参りをしてくれたのなら、むし歯の苦しみを和らげてあげましょう」という言葉を遺して亡くなった。そういう逸話から虫歯の患者の信仰を集めるようになった[2]

当寺の墓地には、浦賀奉行の御用寺院という関係もあり、与力同心の墓が多い。また江戸屋半五郎の墓もある。半五郎は洗濯屋(実際は遊廓)「江戸屋」の主人であったが、ある日菩提心を起こし、遊女たちを解放、江戸屋を閉店した。そして徳本上人の弟子となり、後半生を僧侶「深本」として過ごした[1]

文化財

  • 常福寺本堂内脇厨子(横須賀市指定重要有形文化財 平成19年3月12日指定)[3]
  • 須弥壇(横須賀市指定重要有形文化財 平成22年4月1日指定)[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、251-252p
  2. ^ 6.常福寺(放光山延寿院・浄土宗鎮西派)横須賀市「浦賀の歴史とふれあう散策ルート2(西浦賀コース)」
  3. ^ 常福寺本堂内脇厨子横須賀市
  4. ^ 須弥壇横須賀市

参考文献

  • 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年



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