常福寺 (土岐市)とは? わかりやすく解説

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常福寺 (土岐市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 01:14 UTC 版)

 常福寺
所在地 岐阜県土岐市下石町1745
位置 北緯35度19分31秒 東経137度11分56秒 / 北緯35.32528度 東経137.19889度 / 35.32528; 137.19889座標: 北緯35度19分31秒 東経137度11分56秒 / 北緯35.32528度 東経137.19889度 / 35.32528; 137.19889
山号 知足山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 元和年間
開山 清巌
開基 玉巌宗珉
中興 長水
札所等 土岐郡三十三所巡礼十六番
法人番号 5200005008451
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常福寺(じょうふくじ)は岐阜県土岐市下石町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は知足山。

歴史

元和年間(1615~1624年)、林清重郎が長男の長久郎と、安藤清右衛門が長男の藤吉郎の手習い師匠であった、虎渓山の珉蔵主という出僧の為に、幸彼庵という小庵を開創した。

この時に、妻木村崇禅寺二世の見龍宗潭が、開山と開基の人選を行い、玉巌宗珉が開基となり、清巌が開山した。また大平・門田・山寺・鍛冶帰・神宮の5集落から数軒の檀家を移管した。

幸彼庵は臨済宗南禅寺派であったが、寺請制度の開始に伴い、知足山 常福寺に改号して臨済宗妙心寺派となり、崇禅寺七世の春嶺宗栄が一世となった。

元禄年間(1688~1704年)、二世の長水は、寺を上貢の旧地(元寺屋敷)から下石川の対岸の小坂の平林山に移転[1]して中興開山した。

明治44年(1911年)4月18日、窯屋敷にあった釈迦如来を本尊とする法輪山 地蔵院を合併した。

昭和11年(1936年)頃、大平の佐橋氏・加藤氏、門田の永井氏・坂田氏、山寺の長江氏、鍛冶帰の長江氏、神宮の大野氏等70余戸が、常福寺の檀家に加わった。

境内

観音堂

観世音菩薩が本尊として安置されている。

文政元年(1818年)11月、林五郎右衛門が、字・清水に建立したものであったが、

明治2年(1869年)3月、常福寺の境内に移築して境内仏堂となった。

地蔵堂

天保11年(1840年)2月、安藤兵左衛門ら30名が建立したもので、本尊は地蔵菩薩である。元は行者堂と称していた。

明治44年(1911年)4月18日、常福寺の境内に移築して境内仏堂となった。

子安地蔵として尊崇されており、毎月24日に常福寺にて祭祀されている。子年に本開帳、午年に中開帳が行われている。

大仏

昭和9年(1934年)11月に建設された釈迦如来である。コンクリート造りで、座高は5m44cmである。

境外

阿弥陀堂

貢にあり、常福寺が管理している。本尊は阿弥陀如来である。

堂内にある香炉に元禄年間を示す文字が刻まれていることから、元禄以前の創建であると思われる。

薬師如来も祭祀されたため、薬師堂とも呼ばれている。

参考文献

  • 『ろくろの里 : 下石町誌』 第十章 宗教 第二節 寺院 p356~p357 下石町誌編纂委員会編 下石陶磁器工業協同組合 1984年

脚注

  1. ^ 移転の年は、享保16年(1731年)の説もある。



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