常備艦隊参謀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 01:47 UTC 版)
イギリスから帰国した島村は、巡洋艦「高雄」の分隊長兼砲術長を経て、明治26年(1893年)3月13日、常備艦隊の参謀に任命される。当時の島村の大尉という階級から考えて、これは異例の大抜擢であった。同年5月に常備艦隊司令長官に着任した伊東祐亨中将のもと、彼はイギリス仕込みの訓練法を徹底するなど辣腕をふるった(当時の常備艦隊には参謀は島村一人しか置かれておらず、また伊東司令長官の磊落かつ悠揚な性格もあって、彼の意見はそのまま採用されることが多かった)。翌年に常備艦隊が改組されて連合艦隊となり、伊東が司令長官に就任すると、島村もまた連合艦隊参謀となった。同年新たに鮫島員規大佐が参謀長に就任し、島村の直接の上官となったが、鮫島は職務を部下任せにする気質があったため、島村の意見が持つ影響力には変化はあまり無かったようである。また同年少佐に昇任している。
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