帝国の実権再掌握とスーラジュ・マルとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/21 10:16 UTC 版)
「ナジーブ・ハーン」の記事における「帝国の実権再掌握とスーラジュ・マルとの戦い」の解説
アフマド・シャー・ドゥッラーニーは撤退の際、新たな皇帝となっていたシャー・アーラム2世を追認し、マラーターに廃位された宰相ガーズィー・ウッディーンを宰相に任じている。 ナジーブ・ハーンはアフマド・シャーの代理人として再び宮廷の監督官となったが、すぐさま全権の掌握に取り掛かった。今度は宰相ガーズィー・ウッディーン・ハーンを追放してメッカに巡礼を命じさせ、自身が宰相となって帝国の実権を再掌握した。 さて、北インドからマラーター勢力が撤退した結果、ナジーブ・ハーンはハリヤーナー地方南部を支配するジャート族と戦わなければならなかった。ジャート族はバーラトプル王国を形成し、この当時は英雄として名高いスーラジュ・マルに率いられており、第三次パーニーパトの戦いののちにはアーグラを占領していた。 1763年12月25日、ナジーブ・ハーンはデリー近郊でスーラジュ・マルとの対峙の際、伏兵を使ってスーラジュ・マルを殺害した。これによりバーラトプル軍は混乱に陥り、敗走した。
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