帝位継承問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:32 UTC 版)
「オットー・フランツ・フォン・エスターライヒ」の記事における「帝位継承問題」の解説
父カール・ルートヴィヒの死後、ハプスブルク家の法に基づき兄フランツ・フェルディナントが帝位継承者に選ばれた。しかし、フランツ・フェルディナントは結核を患うなど健康不安から次期皇帝としての素質に疑問の声が挙がっていた。1896年に二重帝国共通外務大臣アゲノル・マリア・ゴウホフスキは、フランツ・ヨーゼフ1世が帝位継承者の再考を考慮していることを示唆した。これにより、弟のオットー・フランツが帝位を継承するのではないかという憶測が流れた。 女性スキャンダル以外に注目されることがなかったオットー・フランツはにわかに人気を集めた。これに対してフランツ・フェルディナントは激怒し、オットー・フランツが自分が所有するモデナ宮殿(英語版)よりも大きいアウガルテン宮殿(英語版)を所有していることにも不快感を示した。オットー・フランツは帝位への野心がないことを伝えたが、フランツ・フェルディナントは弟の言葉を鼻であしらったという:p. 108–109。
※この「帝位継承問題」の解説は、「オットー・フランツ・フォン・エスターライヒ」の解説の一部です。
「帝位継承問題」を含む「オットー・フランツ・フォン・エスターライヒ」の記事については、「オットー・フランツ・フォン・エスターライヒ」の概要を参照ください。
- 帝位継承問題のページへのリンク