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市島徳治郎

(市島徳次郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 04:26 UTC 版)

市島徳治郎

8代[1]市島 徳治郎(市島 徳次郎[1]、いちじま[2]/いちしま[3] とくじろう、1847年6月6日弘化4年4月23日[1]) - 1917年大正6年)2月26日[2])は、明治時代地主政治家銀行家貴族院多額納税者議員。族籍は新潟県平民[1]。幼名は千吉、のち宗輔と称した[3]第四国立銀行設立者。

経歴

越後国蒲原郡天王新田(新潟県北蒲原郡天王新田、天王村中浦村、福島村、豊浦村、豊浦町を経て現新発田市)出身[3]1871年(明治4年)以降、新潟県第二十二大区小八区天王新田用掛、同県第二十二大区長、天王村長を歴任する[2]第四銀行の発起人に名を連ね、1874年(明治7年)初代頭取に就任した[3]

また、新潟県下第一の大地主であり[1]1890年(明治23年)には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1897年(明治30年)9月28日まで在任した[2]。その後は新潟銀行や新潟水電などの取締役を務めた[1]

市島家

系譜

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 人事興信所 1911, p. い119–120.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 180頁.
  3. ^ a b c d 新潟日報事業社出版部 1984, 164頁.
  4. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  5. ^ 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年、414頁。衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、200頁。
  6. ^ 市島徳厚 - 『人事興信録』データベース、2019年11月22日閲覧。

参考文献




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