巨人伝説の終焉とは? わかりやすく解説

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巨人伝説の終焉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 10:03 UTC 版)

パタゴン」の記事における「巨人伝説の終焉」の解説

パタゴニアへの渡航がごく限られた冒険者たち時代16世紀から17世紀パタゴニア巨人の国だとの認識もたれていたが、18世紀に入ると航海技術向上しパタゴニアへの渡航冒険者だけの物で無くなりパタゴニアに関する報告増えていった。 1740年パタゴニア派遣されイエズス会宣教師トマス・フォークナーはパタゴニア長期滞在の上1774年自伝発行しそのなかでパタゴニア人々確かに大柄ではあり、フォークナー知っているパタゴニア族長1人身長2.1メートル超えていたとも残しているが、巨人というほどではなかったと証言している。1766-1769年に世界周航をしたフランス人ブーガンヴィル航海科学者同行させ、その著書世界周航記」のなかでパタゴニア先住民族との接触について詳しく書いていて、彼らパタゴン人はグアナコ毛皮を着、歌や踊りが好きで巨人というほどではないが彼らフランス人よりは大柄であった報告している。ブーガンヴィルはより具体的な数字をあげており、パタゴン人の身長は5ピエ6プース(約1.8メートル)以下の者もいないし5ピエ10プース(約1.9メートル)以上の者もいないが、複数船員が6ピエ(1.98メートル)以上のパタゴン人を何人も見た証言したと書いている。 先に記述した1773年ジョン・バイロンパタゴニア人は背は高いが巨人と言うほどではないとの報告加え18世紀後半1770年代続けて発行されパタゴニアあるいはパタゴン人についての諸報告はいずれパタゴン当時ヨーロッパ人よりは背は高いものの巨人というほどではないことを証言し、これらの報告によってヨーロッパ人に伝わるパタゴニア巨人伝説終わりを告げるであった

※この「巨人伝説の終焉」の解説は、「パタゴン」の解説の一部です。
「巨人伝説の終焉」を含む「パタゴン」の記事については、「パタゴン」の概要を参照ください。

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