左翼映画から関西の商業映画へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 12:56 UTC 版)
「松崎啓次」の記事における「左翼映画から関西の商業映画へ」の解説
1929年(昭和4年)、ソ連・ロシア文学の翻訳家として活動。 『労農ロシヤ文学叢書 第1輯』(マルクス書房)、『ゴルキー全集』(共生閣)、『プロレタリア移動劇場脚本集第1輯』(共生閣)を刊行。同年、結成されたプロキノ(日本プロレタリア映画同盟)に参加。 1930年(昭和5年)、プロレタリア雑誌『戦旗』7月号に「催涙ガスの話」発表。 1931年(昭和6年)、奈良のあやめ池畔にあった市川右太衛門プロダクション製作の『十三番目の同志』の脚本。 1932年(昭和7年)、奈良県生駒市の月形プロ製作の『暁の市街戦』で脚本。『阿片戦争』を小国英雄とともに高山書院から刊行。
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