崔述とは? わかりやすく解説

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さい‐じゅつ【崔述】

読み方:さいじゅつ

[1740〜1816中国、清の学者大名河北省)の人。字(あざな)は武承。号、東壁。古代史考証学的に研究した。著「洙泗考信録」など。


さいじゅつ 【崔述】

中国清代中期史学者。号は東壁。河北省大名県の人。父の元から朱子学学び五一歳で孔子伝記洙泗考信録』を著し、他にも中国古代史についての文献学的研究書き総じて考信録』とする。(一七四〇一八一六

崔述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/21 15:50 UTC 版)

崔 述(さい じゅつ、乾隆5年7月29日1740年9月19日) - 嘉慶21年2月6日1816年3月4日))は、中国代の儒学者。字は武承、東壁と号する。

生涯

大名府大名県(現在の魏県沙口集郷)の人[1]。乾隆27年(1762年)に挙人となり、嘉慶元年(1796年)に羅源知県に任命される。当時、武力を持った連中が海賊退治を名目に商船を捕らえて略奪する事件が相次いでいたが、崔述はこれを平定して功績を挙げた。嘉慶4年(1799年)に上坑関税となるがまもなく辞職して故郷に帰り、学究として生涯を終わる。

方法

崔述の方法は、経書四書五経などの経典)を主として、伝注(今まで伝えられた経書の注釈)で経書に矛盾するものは排除する、というものだった。「伏羲までしかさかのぼらず、春秋は黄帝までしかさかのぼらない。後世が古人よりも多く知ることはないはずだ。よって緯書に書かれている十紀や『史記』に書かれた“天皇・地皇・人皇”は妄説であると断ずる。当時としては実証的というべき崔述の卓見は、日本の那珂通世によって再評価され、那珂による『崔東壁先生遺書』(1906年、目黒書店)の刊行は、胡適顧頡剛らのように疑古派に属する学者の注意を引くことになる。

著書

  • 『洙泗考信録』32巻 - 弟子の陳履和によって出版された。
  • 『同翼録』10巻
  • 『救荒策』
  • 『考古提要』
  • 『孟子事実録』2巻
  • 『考古続説』2巻
  • 『王政三大典考』3巻
  • 『読風偶識』4巻
  • 『尚書辨偽』2巻
  • 『論語餘説』
  • 『読経餘論』2巻
  • 『易卦圖説』
  • 『五服異同彙考』3巻
  • 『大名水道考』
  • 『荍田賸筆』2巻
  • 『雑録』2巻
  • 『瑣記』2巻
  • 『綴語』2巻
  • 『大恠談』
  • 『渉世雑談』
  • 『聞見雑記』4巻

脚注

  1. ^ 【邯鄲人物】崔述 澎湃新聞 2020年7月10日閲覧。

参考文献

  • 胡適・趙貞信『崔述的年譜』(欧陽哲生編『胡適文集・3』所収、北京大学出版社、1998年)
  • 劉師培『崔述伝』(『国粋学報』巻三第9期所収、1907年)
  • 那珂通世・校点『崔東壁先生遺書十九種』3巻(北京図書館、2007年)
  • 清史稿』列伝269
  • 国朝先正事略』巻36



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