島としての七ツ島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:56 UTC 版)
「七ツ島 (鹿児島市)」の記事における「島としての七ツ島」の解説
七ツ島は「元禄国絵図」に掲載があり、古くから名勝として知られていた。和田村と下福元村の沖に侵食によって形成された小島が点在していた。海岸線に近い一番大きな島には七ツ島大明神という石祠があり、祭神は市杵島姫命とされている。また、薩摩藩によって編纂された地誌である「三国名勝図会」には七ツ島について以下のように掲載されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}七ツ島 福本村の海にあり、七の岩島にして、渚を距ること遠からず、景致佳勝なり、其島大なる者廻り二町に足らす、松樹生し、小社あり、七ツ島大明神と號す、祭神詳ならず、當邑宗廟、伊佐智佐権現の末社といふ、天文八年、己亥、卯月吉日、社領一反の文書、當邑社家原口氏に傳ふ、東條某當社を管す、 —三国名勝図会巻十九 谿山郡
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