岸信行 (空手家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/01 14:05 UTC 版)
![]() |
この記事には複数の問題があります。
|
岸 信行(きし のぶゆき、1948年6月10日 - 2018年4月23日[1])は、日本の空手家。極真会館出身で、独立後、山形県新庄市に本部を置く岸空手道場の師範を務めた。
来歴
山形県新庄市出身[1]。山形でも他流派の空手を修行していたが、19歳の時に上京し、極真会館に入門。その後、内弟子になり、山崎照朝や長谷川一幸に鍛えられ修行を重ね、1971年(昭和46年)3月4日に黒帯(初段)を允許[2]を受ける。同時代に一緒に修行した仲間に佐藤勝昭や三浦美幸がいる。その後、台湾に派遣され、現地で指導を行う。帰国後、本部道場指導員に就任[1]。
1974年(昭和49年)、ニューヨークの中村忠のもとへ派遣される。中村が極真会館から離れ、誠道塾を興した際、2年ほど協力した後、極真会館へ復帰する。また、極真カラテ普及のために、ヨーロッパ方面へも指導に赴いている。
1989年(平成元年)頃、極真会館が組織を拡大させるなかで、「自分の居場所ではない」と再度極真会館を脱会し、マンハッタンと地元山形県に岸空手道場を設立した。還暦を過ぎても、日々稽古に勤しみ、分厚い氷柱割り演武もそつなくこなす程の腕前であった。
2017年から大腸癌を患っていたが、延命治療を行わず、2018年4月23日早朝に他界[1]。69歳没[1]。
人物
オープントーナメント全日本空手道選手権大会やオープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場したが、入賞歴はなく、途中の怪我などにより棄権を余儀なくされていた[1]。それゆえ、「無冠の帝王」「道場チャンピオン」と呼ばれていた。ただし、実戦での強さは折り紙付きで、当時の極真会館に対する道場破りは、岸が撃退し、無敗を誇った[1]。長谷川一幸も、岸と同様、道場破りを担当して無敗であった[3]。くわえて、その人柄から、先輩後輩問わず誰からも愛され、慕う人物は実に多かったという。
参考文献
- 不動武『空手仙人 岸信行 枕にキノコが生えるまで泣け!! 不敗の人生術』東邦出版、2009年、ISBN 978-4-8094-0783-3
脚注
関連項目
外部リンク
- 岸空手道場[リンク切れ]
- 岸信行 (空手家)のページへのリンク