岩田屋伊勢丹の誕生から岩田屋の撤退まで
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「県民百貨店」の記事における「岩田屋伊勢丹の誕生から岩田屋の撤退まで」の解説
1973年(昭和48年)10月20日に九州産業交通などが開設したバスターミナル熊本交通センターの一角(熊本県熊本市桜町3-22)に伊勢丹(現:三越伊勢丹)、熊本交通センターとの合弁で岩田屋伊勢丹ショッピングセンターとして開業。当店の開業と同時に隣接する「熊本交通センター・名店街」も「熊本センタープラザ」として新装開業した。 熊本商工会議所の百貨店審議会で地元の強い反対で進出当初は百貨店としての営業が禁じられたため、ショッピングセンターとしての開業に追い込まれると共にライバルの地元百貨店鶴屋百貨店や大洋デパートなどが増床し、家賃もやや割高であるなど当初から問題を抱え、1974年(昭和49年)7月に百貨店に切替えたものの業績低迷が続き、1993年(平成5年)3月には伊勢丹が撤退して熊本岩田屋として単独で抱えることになり、久留米岩田屋(現:岩田屋三越)に営業を移管した2000年(平成12年)2月までに100億円の累積赤字を抱えるほど損失が膨らんでいた。 その後は久留米岩田屋熊本店として営業し、九州産業交通が家賃を年10億円から9億円に減額するなどの対応をした結果2001年(平成13年)2月期には1.85億円、2002年(平成14年)2月期には家賃を年9億円から8億円にさらに減額するなどの対応をした結果約3億円の経常黒字を計上して単年度収支では黒字転換し、2002年3月初旬「中牟田健一・岩田屋社長が建物を所有する九州産業交通(熊本市)に閉鎖方針を伝えた」との一部報道があった後に開かれた岩田屋の第1回債権者会議後の会見で中牟田・岩田屋社長が「熊本店の閉鎖は選択肢の1つに過ぎない」と述べていたが、結局4月9日に岩田屋が正式に熊本店の閉店を発表し、経営再建計画の一環として2003年(平成15年)2月11日に閉店した。
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