岡崎市立大雨河小学校とは? わかりやすく解説

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岡崎市立大雨河小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/04 14:39 UTC 版)

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岡崎市立大雨河小学校
過去の名称 雨山学校
河原学校
袖川学校
雨山尋常小学校
河原尋常小学校
大雨河尋常小学校
大雨河国民学校
宮崎村立大雨河小学校
額田町立大雨河小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岡崎市
校訓 「強く・正しく・仲良く」
設立年月日 雨山・大代1874年明治7年)
河原1875年明治8年)
閉校年月日 2010年3月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 444-3602
愛知県岡崎市東河原町字黒石17
外部リンク 公式ページ
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岡崎市立大雨河小学校(おかざきしりつ おおあめかわしょうがっこう)は、かつて愛知県岡崎市にあった公立小学校である。

概要

1874年明治7年)に仮教場を置いたのにはじまり、2010年平成22年)4月に岡崎市立宮崎小学校に統合された。

沿革

[注釈 1]

雨山学校

  • 1874年明治7年) : 仮教場を、雨山村と大代村は大代の正泉寺におく。
  • 1876年(明治9年) : 正泉寺の仮教場を雨山の菩提院に移す。
  • 1877年(明治10年) : 雨山学校と称す。

河原学校

  • 1875年明治8年) : 仮教場を、河辺村(今の河原)におく。
  • 1877年(明治10年) : 河原学校と称す。
  • 1893年(明治26年)12月7日 : 火災により焼失。

大雨河尋常小学校

  • 1894年明治27年) : 河原学校と雨山学校が合併、大雨河尋常小学校が開校。
  • 1903年(明治36年) : 新校舎完成。
  • 1925年大正14年)3月16日 : 新校舎完成。(愛知県岡崎市東河原町字黒石17)

大雨河小学校

  • 1947年(昭和22年) : 大雨河小学校に改称。
  • 1948年(昭和23年) : 権田徳一教頭先生(雨山)がデザインの校章が制定。

額田町立大雨河小学校

  • 1956年(昭和31年)9月30日 : 豊富村・宮崎村・形埜村・下山村の4村が合併し額田町となった。額田町立大雨河小学校となる。
  • 1965年(昭和40年) : 校歌制定。
  • 1967年(昭和42年) : 校旗制定。
  • 2010年平成22年)4月に岡崎市立宮崎小学校へ統合された[注釈 2]。なお、本学区の生徒は敬信寮に入寮できた。

地理

岡崎市市街地から遠く離れており、学校周辺はに囲まれている。

脚注

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注釈

  1. ^ 沿革の出典は主に大雨河小学校公式ウェブサイト[1]から。
  2. ^ 児童数が減少傾向にあったため岡崎市立宮崎小学校に統合された時には全校児童数は14人しかいなかった[2]

出典

  1. ^ 開校130年記念 大雨河小学校の歴史”. 岡崎市立大雨河小学校. 2018年7月17日閲覧。
  2. ^ 大雨河小学校について-概要-”. 岡崎市立大雨河小学校. 2018年7月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク




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