岐阜県恵那市岩村町の景廉伝説
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「加藤景廉」の記事における「岐阜県恵那市岩村町の景廉伝説」の解説
治承年間の頃、美濃国の遠山荘では盗賊が野に充ちて里人が困っていた。遠山荘の山上邑の邑長は伊勢神宮を訪れ盗賊の難を免れるよう祈った。するとその夜、神が偉人に命じて悉く盗賊を誅する夢を見た。翌日、宇治橋上に一人の壮士を見たので名を尋ねたところ、壮士は自分は伊勢国の住人で加藤景廉と称し、これから関東へ赴き託する処を求めていると言った。邑長は喜び、神が偉人に命じて悉く盗賊を誅する夢を見たことを伝え、遠山荘へ招いて盗賊を退治してもらった。景廉はその後暫く遠山荘の山上邑の邑長の家に滞在していたが源頼朝が伊豆国で立ち上がったことを聞き馳せ参じて従った。そして功を挙げて、領地を貰う際に遠山荘を請いて認められた。景廉は山上邑へ戻り岩の上に座り城の場所を定めた。その岩を腰掛岩といい、その丘を祖父峯(ちちがね)という。今も岩村町の山上家には景廉が使用したと伝わる大きな飯椀があるという。
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