山倉たかしとは? わかりやすく解説

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山倉たかし

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 05:45 UTC 版)

山倉 たかし
Takashi Yamakura
出身地 日本
ジャンル 歌謡曲ボサノヴァジャズ
職業 作曲家編曲家
活動期間 1960年代 -
レーベル テイチクレコード

山倉 たかし(やまくら たかし)は、日本の作曲家編曲家である。

人物・来歴

テイチクレコード(現テイチクエンタテインメント)で、1965年(昭和40年)、石原裕次郎のシングル『赤い谷間のブルース』の編曲を行なって以来、1977年(昭和52年)のシングル『霧の波止場で』、次のシングル『紫の雨』のC/W曲『海を離れた男のブルース』まで、36曲のシングル曲の編曲を手がけた。当時の代表曲は浜口庫之助作曲の『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)、『粋な別れ』(同)など。池田充男野崎真一萩原四朗上原賢六らに重用された。また同1965年には、渡哲也の『東京流れ者』(作詞高月ことば)の編曲を手がけた。

ジャズアレンジを得意とし、1967年(昭和42年)には、世良譲トリオが当時21歳の笠井紀美子を迎えたボサノヴァ・アルバム『ザ・モダン・プレイング・メイト』に、笠井、世良、栗田八郎(ベース)、ジミー竹内(ドラムス)、川原正美(コンガ)、池田晴紀(ボンゴ)とともに編曲家として参加[1]

1970年代には、国際放映が製作したフジテレビジョンの時代劇の劇伴を手がけた。

世良、笠井らとのアルバム『ザ・モダン・プレイング・メイト』は、1998年(平成10年)6月24日2007年(平成19年)7月6日の2度にわたりCD化された[1]

おもなディスコグラフィ

  • 石原裕次郎
  • 渡哲也東京流れ者』 (1965年)
  • 三ッ浜文子『名古屋中村なみだ雨/北浜ブルース』 (1968年)
  • 木立じゅん484のブルース』 (1968年、補作曲)
  • 尾崎奈々
    • 『バラ色の町』(1968年)
    • 『赤い波』(1968年)
  • 三波春夫『ご存知右門ここに居る』(1969年)
  • 若山富三郎『雪に追われた流れもの』(1969年)
  • 石川美沙『燃えて燃やして燃えつきて』(1969年)
  • 三朝れい子『恋は霧の中/レモンのくちづけ』(1970年)
  • 涼川真里
    • 『湖に眠る恋/愛はあなただけ』(1969年)
    • 『こんなにこんなに愛してる/幻のくちづけ』(1969年)
    • 『雨の中で泣いちゃった/あなたのとりこ』(1970年)
    • 『新宿気まぐれ』(1970年)
    • 『白いシャム猫/時計』(1971年)
  • 鈴木次郎『恋地獄のブルース』(1970年)
  • 桂木圭子『女上位のブルース/新宿流れ花』(1970年)
  • 一条るり子
    • 『花と蜜蜂』(1972年)
    • 『女のギター』(1972年)

フィルモグラフィ

テレビ映画

脚注

出典

  1. ^ a b #外部リンク内のYahoo! ミュージック「ザ・モダン・プレイング・メイト」リンク先の記述を参照。

関連項目

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