尚書故事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/29 04:31 UTC 版)
尚書は本来少府の下に置かれ、後漢では尚書台、魏では尚書省として独立した機関が置かれたが、一貫して皇帝の家政機関の一員として皇帝に対する上奏を取り扱う役職であった。皇帝への上奏を希望する者は、正副二つの上表書を尚書に提出して尚書は副の方を閲覧し、それが良くないと思えば廃棄して、これを皇帝には上奏しないということが故事となっていた。この故事の成立時期は不明であるものの、当初は皇帝が膨大な上奏の数を捌く事が困難であったことから採られた策であったと考えられている。ところが、後に尚書がこの権限を利用して自己の都合の良い上奏のみを取り継ぐようになった。特に霍光一族が尚書を掌握した前漢の宣帝の時代にその弊害が酷くなった。これを憂慮した魏相は、宣帝の皇后の父である許広漢に頼んで副封の弊害を説いた。そこで、宣帝はこの故事を止めさせるとともに魏相を給事中に任じて上奏の処理を補佐させることにしたという。また、後漢の鄭弘が尚書令に就任すると、尚書は重大な役目であるのに、退任後に任じられる地位が低い事をから、役人たちが尚書に就きたがらないことを上奏して章帝は直ちに退任後の待遇を改善した。また、章帝は鄭弘の述べたことのうち、政務に役立つものを書きつけて尚書台があった南宮に掲げさせて尚書の故事としたという。尚書は一貫して皇帝の家政機関であり、その故事の是非を最終的に判断するのは家政機関の長官である皇帝であった。そのため、皇帝が従来の故事に問題があると考えれば直ちに改められ、皇帝が定めた新しい規則は直ちに尚書の故事として布告されたのである。
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