少年相撲から中学相撲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 10:01 UTC 版)
当人や周囲の回想によれば、相撲に身を入れ始めたのは1981年の父の現役引退が契機だったという。 「自分が将来、相撲の世界に入って、父が果たせなかった夢を実現させるんだ」という思いで稽古に打ち込み、1982年、わんぱく相撲の全国大会で優勝、わんぱく横綱(小学4年生)となった。わんぱく横綱としての土俵入りを入れれば、蔵前国技館と新両国国技館の両方で横綱土俵入りを行ったひとりであるということになる。 父を慕って部屋によく遊びにきていた鎌苅忠茂少年(後の貴闘力)には、兄の勝ともどもかわいがられ、部屋の稽古場で相撲を取ることもあったという。 明大中野中に進学し、同相撲部で武井美男監督から廻しの切り方などの技術面の指導を受けた。このことが、のちの躍進に大きく寄与したとされている。
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