少女逃亡失敗監禁事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「少女逃亡失敗監禁事件」の解説
2002年1月30日に少女AがXの隙をみて、北九州に住む祖父母の家へ逃亡。逃亡に成功したAは半月ほど祖父母と一緒に暮らしをしてアルバイト先を決めたり、国民健康保険に加入したり、預金口座を作るなどして生活の基盤を築き始めていた。しかし、AはXによってBが死亡したことについて罪悪感を持っていたため、Bの死を祖父母には伏せていた。 AはXの命令でお小遣いの名目で金を調達するために祖母とはそれまでも何回か会っていた。その際にXの支配下に置かれていたAは祖母との会話中に、死亡したBに関する質問には「出張中で殆ど逢っていない」としか言わず、現在の住所の質問には「一々聞くと、もう逢わんよ!」と血相を変えて怒ることで質問を封じていた。Aは祖母と会話が終わった直後に隠れて公衆電話や携帯電話でXと連絡を取っており、その様子を目撃していた祖母から不審に思われていた。 Aは生活の基盤を築き始めていたが、2月14日にXの交際相手であるAの伯母(Bの姉でもある)からXに行方が発覚する。Xは「Aが金を盗んだりシンナーなどの非行をしており、このままだとBに叱られる」などの嘘話を展開してAの祖父母と伯母を信じ込ませ、Aを強引に連れ戻した。Aは連れ戻される直前に祖父母に「おじさんの話は全部嘘。迎えにきて」と走り書きのメモを渡す。 その後、AはXとYから首を絞められたり通電されたり、命令で自分の血で「もう二度と逃げたりしません」旨の血判状を書かされたり、5分以内にAの右足の親指の爪をラジオペンチを使ってA自身に剥がさせるなどの虐待を受けた。
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