小豆坂の戦い_(1564年)とは? わかりやすく解説

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小豆坂の戦い (1564年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 10:50 UTC 版)

第三次小豆坂の戦い
三河一向一揆戦国時代)中
1564年2月15日永禄7年1月3日)
場所 三河国小豆坂(現・愛知県岡崎市戸崎町牛転)・馬頭原(現・同市美合町
北緯34度57分00秒 東経137度10分00秒 / 北緯34.95000度 東経137.16667度 / 34.95000; 137.16667座標: 北緯34度57分00秒 東経137度10分00秒 / 北緯34.95000度 東経137.16667度 / 34.95000; 137.16667
結果 松平(徳川)軍の勝利
衝突した勢力
一向一揆
浄土真宗門徒)
松平(徳川)
浄土宗僧兵
指揮官
空誓
本多正信
夏目吉信
蜂屋貞次
松平元康
酒井忠次
石川数正
本多重次
高力清長
天野康景
大久保忠世
榊原康政
本多忠勝
愛知県における位置
小豆坂の戦い (1564年) (日本)

小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)または馬頭原の戦い(ばとうがはらのたたかい)は、1564年永禄7年1月3日)に三河国の小豆坂から馬頭原にかけて行われた合戦。松平元康(後の徳川家康)と三河一向一揆勢力との間で戦われた。1542年1548年小豆坂の戦いと区別するため第三次小豆坂の戦いとも呼ばれる[1]

背景

浄土真宗(一向宗)は鎌倉時代から矢作川中下流域を中心に三河で勢力を拡大し、特に蓮如によって建立された岡崎本宗寺をはじめ、安城本證寺、岡崎の上宮寺は三河三ヶ寺と呼ばれ、100以上の末寺を擁する大勢力となっていた[2]

一揆の直接的原因は、酒井正親が本證寺に乱入したこととされるが、根本的には松平氏による経済統制に対する反発があった[3]。1563年、菅沼定顕による上宮寺の米の強奪を契機に、僧侶たちが菅沼の城を攻撃。元康の使者も殺害されるなど、緊張が高まった[2]

戦闘の経過

大樹寺浄土宗松平氏の庇護を受け、小豆坂で元康を助けた

1564年、土呂針崎の一揆勢との間で、小豆坂から馬頭原において戦闘が開始された[4]。元康は浄土宗大樹寺僧兵の支援を得て、一揆勢と対峙した[5]。元康は自ら前線で指揮を執り、甲冑銃弾で貫かれながらも奮戦。この勇姿を見た一部の一揆方武将が元康側に寝返り、戦局が決した[6]

戦後と影響

戦後も一揆の鎮圧は続いたが、家康は1567年には浄土真宗の布教を再許可している[3]。これは単なる宗教弾圧ではなく、領国支配権をめぐる政治的対立だったことを示唆している[7]

史跡

小豆坂古戦場跡は岡崎市指定史跡として保護されている[8][9]

歴史的評価

近年の研究では以下の新解釈が提唱されている。

  • 1. 家康が意図的に一揆を誘発し、三河支配強化の口実とした可能性[7]
  • 2. 宗教的理由よりも経済統制権をめぐる対立が主因だったとする説[3]

関連項目

脚注

  1. ^ 小豆坂学区”. 岡崎市. 2024年7月18日閲覧。
  2. ^ a b 小和田泰経. “安城と徳川家康と三河一向一揆”. 歴史人. ABC・アーク. 2024年7月18日閲覧。
  3. ^ a b c 渡邊大門. “家康は宗教弾圧の一環として、三河一向一揆と戦ったのか”. Yahoo!ニュース. 2024年7月18日閲覧。
  4. ^ 小豆坂古戦場”. 岡崎市立小豆坂小学校. 2024年7月18日閲覧。
  5. ^ タンブル, スティーヴン (1996). サムライ・ウォーフェア. カッセル社. p. 216 
  6. ^ タンブル, スティーヴン (1998). サムライ・ソースブック. カッセル社. p. 216 
  7. ^ a b 濱田浩一郎. “三河一向一揆の鎮圧後、徳川家康はなぜ離反した家臣に寛大だったのか?”. 歴史人. ABC・アーク. 2024年7月18日閲覧。
  8. ^ 小豆坂古戦場”. 岡崎市観光サイト. 2024年7月18日閲覧。
  9. ^ 小豆坂古戦場跡”. 岡崎市. 2024年7月18日閲覧。



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