小笠原長会とは? わかりやすく解説

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小笠原長会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 14:12 UTC 版)

 
小笠原長会
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年(1810年
または文化8年2月22日1811年3月16日[1]
死没 天保7年2月26日1836年4月11日
改名 岩五郎(幼名)、長会
戒名 韜光院
墓所 東京都文京区本駒込の龍光寺
官位 従五位下能登守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
肥前唐津藩
氏族 小笠原氏
父母 父:小笠原長保、母:小笠原長堯
養父:小笠原長泰
養子:長和
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小笠原 長会(おがさわら ながえ)は、江戸時代後期の大名肥前国唐津藩3代藩主。官位従五位下能登守忠知系小笠原家11代。

生涯

5000石を領した大身旗本豊前国時枝領主・小笠原長保(小笠原長世の養子)の次男。

唐津藩主・小笠原長泰に嗣子がなかったため養嗣子となり、天保4年(1833年)9月20日の養父の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下能登守に叙任する。しかし、藩主になった年に天保の大飢饉で凶作が起こるなどして苦難が続いた。

天保7年(1836年)2月26日、27歳で死去し、跡を養嗣子・長和柳沢保泰の子)が継いだ。

系譜

父母

養子

脚注

  1. ^ 小笠原長会』 - コトバンク



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