小林寛 (野球)とは? わかりやすく解説

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小林寛 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 10:05 UTC 版)

小林 寛
横浜DeNA時代(横浜スタジアム 2013年3月17日)
基本情報
国籍 日本
出身地 広島県福山市
生年月日 (1989-01-21) 1989年1月21日(36歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト4位
初出場 2011年6月8日
最終出場 2017年7月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小林 寛(こばやし ひろし、1989年1月21日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手投手)。2018年シーズンからは、社会人野球JFE西日本硬式野球部でプレーを続けた[1]

経歴

広島県福山市立西深津小学校2年時にソフトボールを始めた[2]大阪府内への転居を経て、大阪市立生魂小学校3年生の時から天王寺リトル[2]堺市立浜寺小学校6年生の時に浜寺ボーイズでプレー[2]堺市立浜寺南中学校への進学後は、高石ボーイズに所属した[2]

島根県江の川高校に進学後は、2年生の春からベンチ登録。2年生の夏に控え投手として第87回全国高等学校野球選手権大会甲子園出場を果たすと、初戦(1回戦)の静清工業高校戦に救援で登板した。

大阪学院大学への進学後は、1年生の春から関西六大学野球のリーグ戦に登板。秋季リーグ戦では、3勝を挙げ平古場賞を受賞した。2年生の時には、春・秋季通算で96を記録。3年生の春季リーグ戦では、リーグトップの6勝でチームの2位躍進に貢献するとともに、最優秀投手賞を獲得した。また、大学日本代表候補にも選ばれている。 4年生で迎えた2010年の春季リーグ戦では、チーム18年振りのリーグ優勝に貢献(詳細後述)。5月22日龍谷大学戦でノーヒットノーランを達成するなど、4完封勝利、防御率1.08も記録したことから、最優秀投手賞とMVPを獲得した。なお、チームの優勝によって進出した全日本大学野球選手権大会では、1回戦の金沢学院大学戦に先発で登板。9奪三振を記録したが、被安打11で敗戦を喫した。

関西六大学リーグ戦通算では、63試合に登板。35勝21敗、防御率1.46の成績を残した。完投数(47)と完封勝利数(15)は、いずれも通算成績でリーグ歴代1位。勝利数(35勝)・奪三振数(390)は、平野佳寿京都産業大学時代に残した記録(36勝・404奪三振)に次ぐ歴代2位である。

2010年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから4巡目で指名。契約金4,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で契約した[3]。背番号は12。チームには同性の小林太志が在籍していたため、本名の「小林寛」を略称に使用した。

横浜・DeNA時代

2011年

同期入団の新人5投手で最も早く、春季キャンプ期間中に一軍へ昇格[4]。開幕一軍は逃したものの、6月8日には、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)の救援で一軍公式戦にデビュー。シーズン通算で6試合登板した。9月20日の対中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム[5]で一軍初先発を果たしたが、5回を2本塁打3失点で敗戦投手になっている。

2012年

一軍公式戦への登板機会がなかった。イースタン・リーグでは、公式戦15試合に登板。2勝3敗、防御率4.50の成績を残した。

2013年

自身2シーズン振りの出場選手登録(4月30日)を経て、救援登板の4試合でいずれも無失点を記録[6]。5月15日の対楽天戦(横浜)で2年振りの先発登板を経験したが、3回3失点で敗戦投手になった[7]。救援で登板した7月10日の対広島東洋カープ戦(横浜)で一軍初勝利を挙げる[8]と、以降の公式戦でも先発やロングリリーフに起用。先発で登板した9月1日の対東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で投球中に左脇腹を痛めた[9]が、阪神タイガースとのシーズン最終戦(10月8日・横浜)では、救援登板で2勝目を記録した。結局一軍では、24試合登板、2勝1敗、防御率2.76という成績でシーズンを終えた。

2014年

春季キャンプの終盤にいったん一軍へ昇格[10]。その一方で、キャンプ中に右肘を痛めるなど、シーズンを通じて故障に苦しめられた[11]。シーズン終盤の9月25日に出場選手登録を果たした[12]が、一軍公式戦への登板機会がないまま、翌26日に登録を抹消[13]。22試合に登板したイースタン・リーグ公式戦でも、1勝2敗1セーブ、防御率4.91という成績にとどまっている。

2015年

救援要員として自身初の開幕一軍を勝ち取った[14]。4月2日の対広島戦(横浜)で3分の2イニングを投げて一軍初ホールドを記録した[15]が、同月5日に出場選手登録を抹消。しかし、中継ぎ陣の強化を目的にした[16]9月1日の再登録[17]以降は、シーズン終了まで一軍に定着した。

2016年

春季キャンプ中に一軍へ昇格したが、オープン戦の途中から二軍で調整。イースタン・リーグ公式戦でも、22試合の登板で、1勝2敗、防御率5.87と振るわなかった。「勝ちパターンの中継ぎ投手」としてチームで最も多く一軍公式戦に登板していた須田幸太がレギュラーシーズン終盤の登板中に故障したこと[18]を受けて、9月28日にシーズン初の出場選手登録を果たすと、同日の対ヤクルト戦(神宮)5回裏2死2塁に救援投手としてシーズン初の一軍マウンドを迎えた。同点の場面からの登板だったが、打者2人から1死を奪っただけで、西浦直亨から勝ち越しの2点本塁打を浴びて降板。結局、レギュラーシーズンでの一軍公式戦登板はこの試合のみで、チームが同シーズン3位で迎えたポストシーズンでは登板機会がなかった。

2017年

イースタン・リーグ公式戦には16試合の登板で、1勝1敗、防御率4.62をマーク。一軍公式戦では3試合の登板を無失点で凌いだが、レギュラーシーズン終了後の10月5日に、球団から戦力外通告を受けた。NPB他球団での現役続行を希望していたことから、2017年11月15日には、地元(広島県内)のMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で開かれた12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式で4人の打者と対戦したが、1被安打1与四球という内容[19]で、他球団から獲得のオファーを受けるまでには至らなかった。

DeNA退団後

JFE西日本時代(2019年4月20日)

2018年からは、本拠地の1つが地元の福山市にあるJFE西日本硬式野球部川崎製鉄水島硬式野球部日本鋼管福山→NKK硬式野球部の後継チーム)でプレーを続ける。

2019年限りでJFE西日本を退団。

選手としての特徴・人物

最速148km/hのストレートと切れの良いスライダーカーブフォークボールチェンジアップといった多彩な変化球を投げる[20]。憧れの投手はロジャー・クレメンス。投球フォームは、江夏豊の現役時代を手本にしている[20]

スタミナが持ち味で、2010年の関西六大学春季リーグ戦では、117イニングを投げて9勝と112奪三振(いずれも1人の投手による単季でのリーグ記録)を達成した。このリーグ戦では、5月17日神戸学院大学戦に9回完投で勝利を挙げると、翌18日の同カードにも先発で登板。試合はリーグ規定で延長19回引き分けに終わったが、小林は19回を1人で投げ抜くとともに、18三振を奪った(いずれもリーグ戦の1試合タイ記録)[21]。さらに、22日の龍谷大学戦で前述のノーヒットノーランを達成すると、26日27日の神戸学院大学戦で2日連続の9回完投勝利。龍谷大学との最終戦(30日)でも、9回完投勝利でチームを優勝に導いた。

制球力にも自信を持っている[20]。関西六大学リーグのリーグ戦では、通算で500回以上のイニングを投げながら、優秀な与四球率(2.16)を記録した。

2011年に横浜ベイスターズの情報番組『Love BayStars』(TBSテレビ)でMCを務めた杉本有美は、小学校時代の同級生[22]。小林自身は、同年の仙台遠征で知り合ったアクセサリーデザイナーの女性と、2014年12月11日に結婚している[23]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2011 横浜
DeNA
6 3 0 0 0 0 2 0 0 .000 88 19.1 21 2 9 0 0 9 0 0 12 11 5.12 1.55
2013 24 5 0 0 0 2 1 0 0 .667 256 58.2 60 1 29 0 3 38 2 0 19 18 2.76 1.52
2015 11 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 64 14.1 13 0 10 1 0 11 1 0 6 6 3.77 1.61
2016 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 2 0.1 1 1 0 0 0 0 0 0 1 1 27.00 3.00
2017 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.0 5 0 2 0 0 3 0 0 0 0 0.00 2.33
NPB:5年 45 8 0 0 0 2 3 0 1 .400 426 95.2 100 4 50 1 3 61 3 0 38 36 3.39 1.57

記録

投手記録
打撃記録
  • 初打席:2011年9月20日、対中日ドラゴンズ23回戦(横浜スタジアム)、3回裏に山井大介から投前犠打

背番号

  • 12 (2011年 - 2017年)
  • 39 (2018年 - 2019年)

脚注

  1. ^ DeNA自由契約の小林寛 名門・JFE西日本で現役続行 スポーツニッポン2017年12月20日配信
  2. ^ a b c d スポーツニッポン、2010年10月24日5面。
  3. ^ 横浜 ドラフト4位の小林と契約スポーツニッポン2010年11月22日配信
  4. ^ 【横浜】小林寛、新人の1軍合流一番乗り日刊スポーツ2011年2月22日配信
  5. ^ ドラフト4位小林寛、初先発も2発に沈む「弱い部分出た」スポーツニッポン2011年9月20日配信
  6. ^ 日刊スポーツスコア速報 2013年5月11日DeNA対巨人戦(HARD OFF ECOスタジアム新潟)の投手成績欄を参照。
  7. ^ 試合結果2013年5月15日DeNA球団公式サイト
  8. ^ a b 小林寛 3年目でプロ初勝利も「悔い残っています」スポーツニッポン2013年7月10日配信
  9. ^ DeNA 小林寛 最悪、登録抹消も 左脇腹痛めるスポーツニッポン2013年9月2日配信
  10. ^ DeNA・小林寛 1軍昇格即70球に監督も高い評価スポーツニッポン2014年2月20日配信
  11. ^ DeNA小林 来季へ体幹強化デイリースポーツ2014年11月25日配信
  12. ^ DeNAが小林寛を登録、小杉を抹消日刊スポーツ2014年9月25日配信
  13. ^ DeNAがソトらを登録、小林寛らを抹消日刊スポーツ2014年9月26日配信
  14. ^ セントラル野球連盟  出場選手登録および登録抹消公示(2015年3月27日付)
  15. ^ 日刊スポーツスコア速報 2015年4月2日DeNA対広島戦(横浜)の投手成績欄を参照。
  16. ^ DeNAモスコーソ降格でビロウ先発へデイリースポーツ2015年8月30日配信
  17. ^ DeNAが小林を1軍登録日刊スポーツ2015年9月1日配信
  18. ^ 、中継ぎ・須田の代役は小林寛中日スポーツ2016年9月26日配信
  19. ^ 大隣、柿田ら力投/12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ (2017年11月15日). 2017年12月30日閲覧。
  20. ^ a b c 運命の日を前に ドラフト候補インタビュー『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835-98、94-95頁。
  21. ^ 大院大・小林寛、延長19回完投!関西六大学野球スポーツニッポン2010年5月19日配信
  22. ^ 2011年6月15日付で更新の杉本の公式ブログや、同年8月7日・21日放送分の『Love BayStars』より。8月21日の同番組では、取材の一環でベイスターズの独身寮を訪れた杉本と、独身寮に住む小林との間で小学校時代の思い出話を大阪弁で語り合うシーンも放送された。小林の一軍初先発試合では、同番組の企画の一環で、杉本が始球式を務めている(始球式の女優は小林寛の小学校同級生日刊スポーツ2011年9月22日配信)。
  23. ^ 小林寛 昨年12月結婚…遠距離実った「結果残して特別な年に」スポーツニッポン2015年1月21日配信
  24. ^ 神奈川新聞、2011年6月9日。
  25. ^ 神奈川新聞、2011年6月15日。
  26. ^ 神奈川新聞、2011年9月21日。

関連項目

外部リンク




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