寒泉亭の殺人
寒泉亭の殺人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 02:31 UTC 版)
(かんせんちんのさつじん) 時代:唐・盛唐 1975年、作者が学習院大学在学中に発表し、学内雑誌「輔仁会(ほじんかい)雑誌賞」に入選した。同賞は選考が厳しいことで有名で、入選は優秀賞並みの快挙に比する。 あらすじ 大唐玄宗皇帝の天宝二載六月。豪商・鄭従徳の邸内の庭の隅には、屋根と柱だけの小さな亭(ちん)がある。屋根の上に水が引いてあり、四方の簷(のき)から流れ落ち、水がカーテンの役割を果たしている。 庭師の李彪(りひょう)は真夏に一度だけ中に入ったことがあるが、信じられないほどの涼しさで、肌寒く感じたほどだった。炎天下での仕事は辛く、夏の間だけでもあそこで寝起きできたら……と考えていた。主人の鄭は夏の間は地方に避暑に出かけているが、今は国子監受験のために居候している汪群が“寒泉亭”と名付けて入り浸っていた。 その日もまた、王群が寒泉亭で午睡を貪っていた。そこへ、同じく居候の趙広が詩の議論をしたいからと、王群に呼ばれて入っていった。一刻ほど経った頃、趙広は出ていく。やがて、鄭家に警察が到着する。王群が寒泉亭で死体で見つかったのだ。亭に出入りした趙広と李彪に疑いがかかる。
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