富士産業の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「富士産業の発足」の解説
1945年8月15日の夕刻、廠内緊急会議が開かれ、その場で「軍需廠は廃止」との指示が出た。8月17日には緊急措置令として「戦争状態終結に伴い、直ちに一切の軍需生産体制を中止し、国民生活の安定確保および交通通信関係復旧に全力を傾注すること」といった指示が次々と出された。同じく8月17日、中島飛行機株式会社は業務の転換を明らかにするため富士産業株式会社と社名を変更。定款を改訂して事業目的を紡績・魚網・農具および車両の製造販売としたが、当面の緊急の業務は第一軍需工廠の整理業務にあった。同日、半田製作所も富士産業株式会社半田工場と改称、8月末には従業員にそれぞれ退職金を支払い、解雇した。 富士産業半田工場では10月1日に整理部が編成され、小松・伊那などの各地に散在する施設や資材の管理・集積・処分の整理業務を開始した。これにより中島飛行機時代に生産した製品が小さな部品に至るまで細かく破壊された。
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