宮中養蚕奉仕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 22:44 UTC 版)
明治時代に入ると、宮中での養蚕が始まった。これは殖産興業に関連し、皇室が国民に範を示す観点で明治4年(1871年)に始まり、「宮中養蚕奉仕」として、養蚕技術者が養蚕実務および宮内省役人への教示のために招かれた。島村の養蚕業者は明治4年から6年までの3年間、およびその年の吹上御苑炎上に伴う中断後初の明治12年(1879年)の計4回、宮中養蚕奉仕を務めた。その第1回を除く3回で取りまとめ役の「世話方」を務めたのが、田島弥平であった(第1回は田島武平)。 明治12年に再開された養蚕は青山御所に新設された蚕室で行われたが、その蚕室の設計には弥平が大きく関与しており、島村式蚕室の構造が採用された。
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