実権掌握まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 03:05 UTC 版)
サイイド・アブドゥッラー・ハーンとサイイド・フサイン・アリー・ハーンは、それぞれサイイド・ミーヤーンの息子として生まれた。 1694年から1695年、アウラングゼーブの孫ジャハーンダール・シャーがムルターンの地方への遠征に向かうと、サイイド兄弟もこれに従軍した。 1697年、アブドゥッラー・ハーンはスルターンプル、ナザルバルのファウジュダールに任命され、1698年にはハーンデーシュの太守に任じられた。同じ頃、フサイン・アリー・ハーンはアジメール地方のランタンボール、アーグラ地方のバヤーナーに地方長官に任じられていた。 アブドゥッラー・ハーンはまた、1705年のマラーター討伐に参加し、1707年にはアウラングゼーブの葬儀にも参加している。 アウラングゼーブの死後、3人の皇子の間で戦争が勃発すると、サイイド兄弟はバハードゥル・シャー1世に味方し、6月にアーザム・シャーを討った戦いに参戦した。 その後、1708年10月にアブドゥッラー・ハーンはアジメールの太守に、1711年1月10日にはアラーハーバードの太守となった。同年4月1日に弟フサイン・アリー・ハーンはビハールの太守に任命され、パトナーのアズィーマーバードに赴任した。
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