実写とアニメーションの融合の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 18:00 UTC 版)
「実写アニメーション映画」の記事における「実写とアニメーションの融合の始まり」の解説
サイレント映画が普及していた1920~30年代、マックス・フライシャーの人気アニメーションカートゥーンには、道化師ココが生きた子猫とボクシングの試合をするなど、実写の世界と触れ合うシリーズがあった。これとは別に、フライシャーの影響を受けたウォルト・ディズニーは、1927年に「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を作り出し、実写の少女アリスがアニメのキャラクターと交流する「アリス・コメディ」という実写アニメーションを製作した。 アメリカではウィリス・オブライエンやレイ・ハリーハウゼン、東欧ではアレクサンドル・プトゥシコやカレル・ゼマン、最近ではヤン・シュヴァンクマイエルなど、実写と逆投影によるストップモーションアニメーションを組み合わせた作品は過去にも多く存在していた。最初の長編映画は『ロスト・ワールド』(1925年)であったと言われている。1935年のソビエト映画『The New Gulliver』では、アニメーションではないキャラクターは主人公のガリバーだけだった。 1940年に公開されたワーナー・ブラザースのアニメーション『You Ought to Be in Pictures』では、ワーナー・ブラザースのキャラクターが実写の人々と交流していた。1945年の映画『錨を上げて』で、ジーン・ケリーがアニメーションのジェリー・マウスと踊るシーンは、有名なシーンのひとつである。
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