宜氏の実父について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/28 17:16 UTC 版)
『下野喜連川足利家譜』『大武鑑』によれば、宜氏は細川雅楽助孝応男、一方『平成新修旧華族家系大成』では宜氏は細川定良(孝応の次男)男とあって、史料によって記述が異なる。『肥後宇土細川家譜』では孝応の子女として通固(通称は外栄)と定良(通称は右賢)とあり、定良の子女に孝常(通称は左近、喜連川左馬守煕氏養子)、孝典(後政典、通称は茂手木、小笠原修理長光養子)、寛美(姓は岡川、通称は速水、養子先は不明)の3人が記述され、宜氏は定良の長男となっている。ちなみに祖父にあたる孝応は「江戸大名墓総覧」の775頁によれば、宜氏の生まれる以前の文政10年(1827年)1月25日(『系図纂要』は文政7年1月25日に作る)に死去している。
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