官僚退職と改革への反動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:30 UTC 版)
「読み先習の法則」の記事における「官僚退職と改革への反動」の解説
澤柳政太郎は官僚としては最高位の文部次官を2年務めて1908年(明治41年)7月に退職した。澤柳の退職から1ヶ月後に小学校の歴史的仮名遣いが復活することになった。これに対して澤柳は「5年後、10年後には、必ず〈自分の考えが間違っていなかった〉ということが事実の上に証明されるだろう」と主張した。その後1910年(明治43年)から使用されることになった新しい国定国語読本『尋常小学読本』では再び歴史的仮名遣いが使用されるようになり、学校が「がくかう」などと表記された。文部省は全国の師範学校の附属小学校に、この新しい教科書に対する意見を求めたが、全国の小学校の教師たちはこの改定に対して猛烈な反対意見を寄せて、澤柳の考えが正しいことが示された。澤柳の予想通り子どもたちを初めとして教育現場は混乱に陥ってしまった。歴史的仮名遣いは1946年(昭和21年)に「現代かなづかい」が採用されるまで教え続けられた。
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